わたしのこと 7
こんにちは。望月さゆりです。
今までとこれからを見つめるために
私をもっと深く知ってもらうために
ライフストーリーも折り返しです。
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7 新任教師
島々へ旅してから、私はすっかり元気になり順風満帆。
というわけではなかったが、大学に復帰し、学童保育で働いたり、写真を撮り歩いたりバンドで歌ったりするなど自分の好きなことを続けるようになった。
そんな中、まさかの教員採用試験に受かってしまった!(自分も周りも奇跡だと口を揃えた笑)
こんな私が…と恐れ多かったが、ここで逃げ出すと以前の自分に後戻りしそうで、意を決して大阪で小学校教師になった。
はじめて担任したのは4年生。
元気いっぱい、みんなかわいかった。
が、下町のちびっこギャングと呼ばれるほど、
次から次へとてんやわんやな出来事が押し寄せた。
その背景には、複雑な家庭環境もあって
給食で生き延びる子や学校を転々とする子
貧しさ、ネグレクト、虐待
国籍、地域、発達の凸凹・・・
ここには書けないが、本当にさまざまな事がらが絡み合って、子どもたちの今の姿に現れていた。
20代前半の未熟な私には到底対応できるわけもなく、自分の力不足に打ちのめされながら、とにかく目の前のことを乗り越えるのに必死だった。
何があっても子どもにとって親は大きな存在であるということや、
大人の中にこそある根深い差別意識に気づかされることもあった。
そんな中でも印象深いのは『語る会』のこと。
5年生で親の仕事や家族を見つめ、6年生で平和学習。
広島の原爆ドームや平和記念資料館を訪ね、被ばくした方々の体験や想いを語っていただいた。
その後、宿や学校で「語る会」をひらき、一人の子どもが自分のことを打ち明けると、また一人また一人、ぽつりぽつりと自分のことを語りだすのだった。
それぞれが抱えているものごとや想いを
「語り」「添う」ことを重ねていくうちに
子ども自身や友だちとの関係が変わっていく。
みんな置かれた状況の中で懸命に踏ん張っていて、課題として見えるそれはほんの一部分。本来、どの子も芯の部分は繊細でぬくい。そしてつながりたいのだと。
子どもたちの姿を通じて
「人によって人は変わる」ことを胸に刻んだ。
私自身はといえば、早朝から深夜まで学校と家庭と地域を奔走し、責任の重さにいつもストレスを抱えていた。
夜中どんなにクタクタに疲れて帰ってもお酒をガブガブ飲んでしまう。今思えば、止まらない思考や不安を酔うことでゆるめて発散させていたのだろう(朝、副校長に酒くさいと注意されたことも。ほんとごめんなさい)
正直、教師の私だって学校へ行きたくない日があったし、何度も辞めようと思った。あの頃の子たちには申し訳ない気持ちもいっぱいある。
でも、子どもたちとの一日一日が前向きな一歩につないでくれた。今もみんなの顔が浮かんで涙が込み上げる。育ててもらったのは私のほうだ。
そして真摯に子どもと向き合う人情味あふれる先生たちが、未熟な私を支えてくれたおかげで教師を続けることができた。
私は5年間の新任校を経て、海外へ飛び出すことに。
ライフストーリー8へと続きます。
note、はじめたばかりです。
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望月さゆり