父の胃癌とわたしの平穏7
これを書くのは久しぶりです。もともと、自分の中のものを外に出したくて始めたものです。前回までで、書いてぶつけたいことはほとんど書いたように思います。だから言葉がわいてこないのかな、と考えていました。
その時を迎えて、一通りの儀式も終えて、今になって書き足りないところがあるように感じたので、今こうして書いています。
今の氣もち
タイトルに「平穏」と付いている通り、平穏なのです。父が亡くなり、四十九日も過ぎ、、、ひと段落ついたと思えば、今度は祖父の二十三回忌の話が出ています。そんな感じです。日日は静かに過ぎてゆきますね。
いわゆる『闘病』中も、それなりに平穏でした。わたしはどちらかといえば「人の死期は決まっている」ように考えています。なので、家の布団で父の体を撫でているときも、入院し、自力で歩けなくなったときも、どんどんと衰えていく父を見ながら「そういうことなのかな」とも思っていました。
覚悟というものでもなく、そういうもの、として。
かなしみ
これを書きながら、思い出したように涙は出てきます。書いていなくても、そんなときもあります。あんなに(いっけん)邪険にするような言動をとっていましたが、かなしみやさびしさはやってきます。それも、そういうものですね。
うざいのと嫌うのとは違う
ここ何年かは、居ればうざったく感じ、話せば喧嘩腰でした。それについて、あらたまって謝罪したこともありました。
「あの時はこうだった…」と思い出すことはあまりしないのですが、父とのことで印象に強く残っているのは理不尽に怒られた(叱られたとは思っていない)事がらが数件。それについて、あらためて謝罪を求めたこともありました。笑
ま、父娘なんて、そんなものなのでしょう。
そんなこんなで今
最近は、母のケアをしたり、しなかったりの日日を過ごしております。母と過ごす時間、兄弟と過ごす時間はすこし増えました。誰かとしたいことは、早めにするようになりました。
この間、久しぶりに佐藤先生の講座に参加してきました。自分のベクトルの向きなどを確認できました。それもあり、今こうして書く氣もちがわいてきたのかもしれません。講座はやっぱり楽しくて、ありきたりだけど元氣になります。さらに言えば、最新のさとう式をとり入れて施術の “深み” が変わりました。
母への施術も、自分の小顔ケアも、『やれば変わる』のが楽しくて、毎日じゃんじゃんきれいになっています。お客さまにもとても喜ばれ、本当に嬉しい限りです。
と、最後はそんな話にもなりましたが、たぶんコレが最終回です。振り返ると、やっぱり平穏だった、わたしの『闘病しない記』でした。
それでは。
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