天使の羽が生えた夢(フランス恋物語⑲)
L'équinoxe de printemps
3月後半にもなると、トゥールにもいっきに春の訪れがやってきた。
フランスにも"L'équinoxe de printemps"(レキノックス・ド・プランタン)という名で、春分の日が存在するらしい。
暖かくなるにつれてレストランやカフェはテラス席を出すようになり、私たち日本人四人組はそこでランチを取ることにした。
いつも明るいムードメーカーのタクミくんが、日本人の意見を代表して言う。
「トゥールにも桜があるなんて素晴らしいですね。しかもこの時期に花粉症がないフランスは天国!!」
向かい側の席で微笑むジュンイチくんを見ながら、私は思った。
・・・私がトゥールに来たばかりの1月は、1℃あるかどうかくらいの極寒の世界だった。
寒がりで寂しがり屋でフランス語も拙かった私は、唯一の同胞だったジュンイチくんに依存し、簡単に肉体関係にまで発展してしまった。
今はそれを清算し、心を入れかえてラファエルとお付き合いをしているけれども。
もし出会ったのが今みたいな暖かい季節だったら、ジュンイチくんにここまで依存することはなかっただろうか・・・。
とりあえず彼について先日わかったことは、「ジュンイチくんはまだ私のことを好き」だということだった。
ふと、前を向いたジュンイチくんと目が会ってしまい、私はあわてて目を反らした。
La perle de Loire
私はトゥールにいる間に、ロワール地方のお城をたくさん回っておこうと思っていた。
ラファエルと付き合うようになってからは、車を持っている彼に頼んで郊外のお城によく連れて行ってもらっていた。
お城へは2人で行くこともあれば、彼のお母さんや、友人のユーゴも同行することもある。
私は2人とも大好きなので、一緒出かけることは全然イヤじゃなかったし、むしろ彼らとの交流を楽しんだ。
特にラファエルのお母さんを慕っていたので、なるべく彼女と一緒にいたいと思うくらいだった。
私は、自分の母とは性格が合わなかったし、元夫の義母には離婚後に厳しく非難されてひどく傷付いた経験もある。
今まで”お母さん”と呼ぶ存在に対して構えていた私にとって、私を一人の大人として尊重し、優しく接してくれるラファエルのお母さんはまさに聖母マリア様だった。
土曜の午後、私はラファエルとお母さんとの3人で、アゼー・ル・リドー城を見に来ていた。
こじんまりとした可愛らしいお城で、川の中州の上に建つ姿は映し鏡のようでとても美しい。
「このお城、バルザックが”La perle de Loire”(ロワールの真珠)と名付けたんだよ。」
ラファエルは私にわかるよう、ゆっくりと”La perle de Loire”と発音してくれた。
私は真似をして、”La perle de Loire”と何度も反芻する。
正面に着くと、お城を引きたてるように桜が咲いていてとても綺麗だった。
思わず写真を撮ろうとすると、お母さんが「レイコとラファエルを一緒に撮ってあげる。」と言って、お城をバックに2ショットの写真を撮ってくれた。
私はお母さんとも写真を撮りたくなって、一緒に撮ってもらうようにラファエルに頼んだ。
彼氏のお母さんにこんな感情を抱いたことは、今まで一度もない。
ラファエルだけでなくお母さんも大好きに思うなんて、そんなこともあるんだ・・・。
本当に、幸せな時間だった。
食事会
この頃には、4月から私がパリに行くということで、2月から通い始めた合気道もお別れムードになってきた。
日曜の夜、合気道の先生のお宅に招待されて晩御飯を御馳走になった。
別の合気道仲間のご家族も来てて、8人という大人数で食卓を囲んだ。
まずはシャンパンとアペリティフを楽しんでから、メインにはモロッコ料理が運ばれ、赤ワインとの組み合わせを楽しんだ。
人生初のモロッコ料理はとても美味しかった。
ステップファミリー
この日招待してくれた先生は再婚しており、元妻との息子1人、新しい妻という、フランスによくあるいわゆる”ステップファミリー”だった。
高校生くらいの息子はクリクリのカーリーヘアが可愛い男の子で、私も何度か合気道の稽古で相手をしたことがある。
この家族で驚いたことが、息子の前でも新しい奥様と先生がベタベタしていて、息子も全然イヤそうじゃないことだった。
それを見て、私は肌で文化の違いを感じた。
「こうやって息子も、常に恋人に愛情表現することを覚えていくんだなぁ」と、ワインでほろ酔いの頭で考えたりした。
日本で生まれ育った私には絶対できないことだけど、体面とか気にせずいつでも愛し合える習慣を持った彼らをちょっと羨ましく思った。
Cadeau
そろそろお開きという雰囲気になった頃、先生から、「君に"cadeau"だよ」と言われ、一通の封筒を渡された。
開いてみると、合気道仲間からの寄せ書きカードが入っていた。
たった1ケ月半ぐらいしかいなかったのに、こんなことまでしてくれるなんて・・・。
思いがけないプレゼントに、私はすごく感激した。
先生は名残惜しそうに、私にこう言った。
「パリに行くのやめてトゥールに残ったら?」
「僕達は待ってるから、いつでもトゥールに帰っておいで。」
「フランス人と結婚して、ずっとフランスにいなよ。」
・・・なんでトゥールの人は、こんなに優しくて親切で、私を大事にしてくれるんだろう?
本当に不思議で仕方がなかった。
そして、「パリではここまで親切にされることはないだろうなぁ。」とも思った。
Paris
彼氏やその家族とも仲良く、合気道仲間にも愛されるという、恵まれすぎたトゥール生活だったが、私が4月からパリに行く気持ちは1mmたりとも変わらない。
日本での貯金はこの3ケ月でだいぶ使ったし、そろそろ自分で働いて生活費を稼ぐ必要があった。
私は、渡仏に反対した親に「ワーキングホリデービザを利用して、現地で働いて自分で稼ぐから。」と大見得を切って日本を出た経緯がある。
職を得るのには、首都であり経済の中心地であるパリが一番良い。
事実、この頃には在仏日本人専用の情報サイト"OVNI"で求人募集を見て、パリの日系企業にネットで応募を始めていた。
そして、パリには世界中の人々が憧れる観光地や娯楽がたくさんあり、魅力的な人もたくさんいる。
「どうせフランスで暮らすなら、華やかなパリでそれなりに刺激のある生活を送りたい。」
かつての自分がそうだったように、やはり都会への憧れは消えなかった。
別れへのカウントダウン
4月以降ラファエルとの交際をどうするか・・・私の考えは初めから変わることはない。
奇跡的なぐらい相性のいいカップルだったが、私の中で「パリとトゥールの遠距離恋愛」というのは選択肢になかった。
過去の遠距離恋愛で凝りていた私は、二度とするまいと心に強く決めていたのだ。
パリ⇔トゥールはTGVで1時間なのでそこまで遠くはないが、私はパリで気軽に会える恋人が欲しかった。
ラファエルと恋の予感を感じた時でさえ、トゥールにいる間の期間限定の彼氏でいいや・・・と、すごく好きなくせに、冷静に考える自分がいた。
私は付き合う前からラファエルに「4月にパリに引っ越す」とは話していたが、それでも彼は私を選んでくれた。
ラファエルは普段の会話で「4月以降どうするか」について言及しなかったし、私も自分からは触れない。
今の彼を見れば、「遠距離になっても続けよう」と言いそうな気がするが、その時はとりあえず”Oui”と答えて成り行きに任せようと思っていた。
もし「別れよう」と言われたら、すんなり別れる。
3月後半の時点で、それぐらいの心持ちでいた。
天使の羽
トゥールにいる時間が残り2週間を切ると、ラファエルは「毎日泊まりに来てほしい」と言い、私もそれに従った。
ラファエルは二十歳という年齢の割には淡泊で、毎晩私の体を求めてくるということはない。
でも、それくらいの方が天使の彼に似合っているし、私はラファエルに抱きしめられながら寝られればそれで満足だった。
私は恋人と一緒に寝る時、どんなにくっついていても、最後は相手に背を向けないと眠れない。
私が背を向けると、彼はいつも後ろから優しく抱きしめてくれる。
すると、まるで自分の背中にも羽が生え天使になったような心地になって、そのまま眠りに落ちる瞬間がたまらなく幸せだった。
私がパリに行けば、毎晩こうやって一緒に眠ることもできない。
それなら、初めから引っ越すタイミングで別れた方がいいのではないか・・・。
恋人とのスキンシップが何よりも大事な私にとって、やはり遠距離恋愛は考えられない。
そうこうしているうちにも幸せな時間は過ぎてゆき、2人が一緒にいられる期間は1週間を切ろうとしていた・・・。