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小説「駒込珈琲物語」第16話(全18話)



「新居浜くん、商品の補充をお願い」
「わかりました……っと、いらっしゃいませ!」

 ようやく始まった〈こまごめ楽座〉は、陽気な賑わいに包まれていた。大家さんが貸し出してくれた空き店舗の中では、街の皆さんが、それぞれの想いの詰まった商品を売り買いしていて、外では買った商品を食べられるスペースも設置されている。

 うちの会社も、目玉商品の麻婆豆腐のレトルトを中心に、中華食材や調味料をスポット販売している。後輩の新居浜くんと二人で対応しているけれど、人の流れが途切れない。普段スーパーではなかなか手に入りづらい新製品も並べているので、SNSでもお客様が喜んでいる様子が伝わってくる。Twitter担当の子もハッシュタグを使って前日までに盛り上げてくれていたので、そのハッシュタグに乗って写真付きの投稿が流れてくると、こちらまで嬉しくなる。部長も後で顔を出すと言っていたな、と朝のメールを思い出す。この忙しさでは、むしろ手伝ってもらいたい位だ。

「堀口さん、ここは俺が見とくので、休憩入ってください」
「大丈夫よ。まだ人の流れが切れなさそうだから、待機してる」
「さっきから、そればっかじゃないですか。俺は先に休憩取らせてもらったし、さっきおにぎりも頂いたから、元気です。堀口さん、朝からずっと立ちっぱなしで、動きっぱなしじゃないですか」
「でも……」
「でも、じゃなくて。少しは休んでください」
「はい……」

 渋々承諾すると、新居浜くんは歯を見せて笑った。私もつられて笑みが浮かぶ。新居浜くんに甘えて、少しお昼休憩を取らせてもらおう。おにぎりと水筒の入ったミニトートを持って、外に向かう。

 外では、フルーツサンドやレモネード、バナナジュースを片手に、ご家族連れやカップルが談笑している。その様子を眺めながら、駒込の平和な休日の輪の中に自分も混ざっていることを不思議に思う。去年までは知らない街だったのに、いつの間にかこんなにも愛おしい街になっている。



「栞さん」

 おにぎりを食べ終わろうとした時に、不意に声をかけられた。振り向くと、鮮やかな赤の口紅とシルバーのショートヘアがトレードマークのマダムが立っていた。

「マダム、いらしてくださったんですね」
「ええ。栞さんの会社の新製品も買ったわよ」
「お買い上げいただき、ありがとうございます」

 おどけて、ぺこりとお辞儀をする。嬉しくなって、笑顔が広がる。後ろには、深緑色のカーディガンを着た澤松さんが微笑んで、マダムを見つめている。

「お忙しい中、ありがとうございます」
「いえいえ。栞さんが張り切ってらっしゃるから、妻もとても楽しみにしていたんですよ」

 指揮者である澤松さんは、ゆったりと微笑む。マダムは笑みを浮かべながら澤松さんをちょっと見上げ、手にした包みを掲げた。

「ビリヤニとバナナジュースも買ったのよ。帰ってゆっくり、世界の味を愉しむわ」
「いいですね! ご近所だと、そんな楽しみ方も出来ますね」
「ええ。こうやってみんながにぎやかだと、街の文化祭って感じでとても素敵ね」
「確かに。いくつになっても、文化祭って参加出来るんですね」

 マダムは私を見つめて、にっこり笑った。

「栞さん、いま、とってもいい顔しているわね」
「そうですか?」
「ええ。今日もどうぞ、素敵な旅を」

 そして、マダムはウインクをした。連れ立って、寄り添いながら歩くおふたりの後ろ姿を見つめながら、マダムと澤松さんが歩んでこられたのは、きっとかけがえのない旅の時間だったのだろうな、と感じた。私にもいつか、旅の道連れが出来るかしら。のんびり、寄り道やお茶や珈琲の時間も楽しんでくれるような人だといいな。



「堀口さん、堀口さん」

 名字を呼ばれて、背筋を伸ばす。振り向くと、新居浜くんだった。手にレモネードをふたつ持っている。

「新居浜くん、どうしたの? 店番は?」
「さっき、部長が応援に来てくれて、しばらく店番してくれるって言ってくれました」
「部長が? 挨拶いかなきゃ」
「『……って、堀口は言うと思うけど、アイツどうせ休みなくやってたんだろうから、少し座らせとけ』って言ってました」
「……さすが部長、見透かされてる」
「俺が、その見張りの番を言いつかって来ました。はい、どうぞ」

 差し出されたレモネードを受け取る。

「おにぎりのお礼です。うまかったです、ありがとうございます」
「いえいえ」

 ぎこちなく、頭を下げる。こうして人に優しくしてもらうのには、どうも馴れていない。新居浜くんは笑って、隣に腰を下ろした。

「今日は、堀口さんのおかげで楽しいです。ありがとうございます」
「こちらこそ、休日返上でつきあわせちゃって、ごめんね。助かってるよ、ほんとにありがとう」
「大丈夫です、堀口さんもそうでしょうけど、今日は出勤扱いですから。平日に代休取れるのも楽しみです」
「ちゃっかりしてる」

 新居浜くんは子供みたいな顔をして笑った。

「なんか、こんな風に街のみんなが元気なのって、いいですよね。俺が住んでる大塚も街づくりに力注いでるけど、駒込は何かを意図してつくろうというよりも、自然と湧き上がってきてる感じですよね」
「わかる、確かに湧き上がってるよね」
「うん。部長もそのパワー感じてたみたいです」
「よかった」

 レモネードを啜った。甘酸っぱくて爽やかなレモンの味わいが、口のなかで弾ける。

「部長が、堀口さんが引っ越してから元気になったって言ってた理由が、少しだけわかったような気がしました」
「わたし、元気になったのかな?」
「はい。いつもやさぐれてたのが、引っ越してから真人間に近づいたな……って言ってました」
「なにそれ、ひどい!」

 新居浜くんは大笑いした。憮然としていた私も、つられて笑い出す。そうね、確かにそうかもしれない。

「確かに、そうかもね」
「え?」
「駒込に来てから、『暮らす』ってことを学んでいる気がするの。毎日、きちんとごはんを食べて、お風呂に入って、ゆっくり眠るっていう当たり前の時間を、ようやく人生の中に取り戻せているような気がする」

 新居浜くんが、全身を使って聞いてくれているのを感じた。

「この街に来て、珈琲って豆によって味が全然違うんだ、って知ったの。ずっとコーヒーが好きだって思い込んでいたけど、珈琲のことを何も知らなかったんだなって、知ったの。好きなお店が出来て、好きな豆が出来て、自分で珈琲を淹れる楽しみも、少しずつ分かってきたところなの。人生を、愉しんでいいんだな、っていうことが、少しずつ分かってきたのかもしれない」
「……ほんとうに、よかったですね」

 その声が、想像していたよりもずっと優しい声色だったので、私は驚いた。新居浜くんを見上げると、小さな子供を慈しむような眼差しだった。暖かいなにかが、胸の奥に広がるのを感じた。

「……平日に代休取ったらさ、駒込のカフェに珈琲飲みにおいでよ。お礼にご馳走する」
「……じゃあ、俺はそのお礼に、六義園か旧古河庭園をご馳走します」
「庭園は、ご馳走するものじゃないでしょ」
「そうでした」

 新居浜くんの笑顔が目に飛び込んだ。目をレモネードに戻して、勢いよくすすり込む。

 差し入れのレモネードは、とても甘酸っぱい。こういうことには、どうも馴れていないのよ、私は。

 

 






(つづく)





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