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小説「ドルチェ・ヴィータ」第5話(全11話)


これまでのお話


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第5話



『祥穂さん、こんにちは。今夜もしお時間ありましたら、北三日月町駅前のワインバルに行きませんか?お店のURLはこちらです』

 昼休みにスマホを確認すると、尚司くんからのLINEが入っていた。いつものように地元集合ではあるものの、珍しいことにいつものラーメン屋、天馬家ではない。私は目をしぱしぱさせて、何度か画面を確認した。URLのリンク先は、飲食店のランク付けをする外部サイトで、なかなかに評価が高い店であることを示していた。いったいなんだってこんな店に……訝しがりながらも、私は画面に向かって指を走らせた。

『天馬家ではないのですか? 珍しい。仕事の後、19時過ぎには行けそうです』

「アジフライ定食、お待たせしました」
「はーい」

 タイミングよく、頼んでいたアジフライが来たので私の思考は中断する。カレー粉が入った自家製タルタルソースが自慢のこの店には、週に一度は必ず足を運んでしまう。私はスマホをテーブルの上に置き、箸を割り、しじみの味噌汁に手を伸ばす。その時、スマホが震えてメッセージの受信を報せた。ちょっと待って、まずはひと口。私は味噌汁をひと口啜り、指でスマホを確認する。メッセージは尚司くんからだった。

『ちょっとお話したいことがあって。19時、了解です。僕の名前で予約しときます』

 味噌汁の味がしなくなった。お話したいことって、いったいなんなんだ。知り合ってから2ヶ月ちょっと経って、週に2回か3回は天馬家で顔を合わせるようになったけど、こうして改まって呼び出されたのは初めてのことだ。私は急に緊張してきて、付け合わせのきゅうりの浅漬けを機械的に齧った。

 夜になって待ち合わせの店に着くと、奥の席にいた尚司くんが振り向いて片手を上げた。私も片手を上げて向かう。

「お呼び立てしちゃってすみません」
「いや、いいんだけど。初めて入ったけど、お洒落なお店ね」
「なに飲みますか」
「じゃあ……まずはキール・ロワイヤルを」

 飲み物が届き、私達は乾杯をする。話があると言ったけれど、尚司くんは珍しく無口でなかなか切り出さない。私はオリーブをつまみながら、探りを入れた。

「尚司くん、話したいことって天馬家では話せなかったの?」

 尚司くんは目を丸くして私を見つめる。そして、首を振った。

「ちょっと落ち着いたところで話したかったんです」

 そして少し目を伏せてから、私を真剣な眼差しで見つめる。

「……祥穂さん」
「はい」

 私の胸は早鐘のように打つ。私も一瞬目を伏せ、そして尚司くんの目を見つめる。

「女性向けのプレゼントって、何を買えばいいのでしょうか」
「……はい?」

 予想外の質問に、私の脳味噌はフリーズしてしまった。

「どれだけ考えてもわからなくて……ここは祥穂さんのアドバイスをいただければと思って、お呼び立てしてしまいました」
「えっと……それは彼女さんへのプレゼント?」
「いえ、まだ付き合ってはいません。ただ、よく入る式場でレギュラーで入っている聖歌隊の人なんですが、少しずついい雰囲気になってきていて」
「でも、なんでプレゼントを?」
「こないだ話をしてたら、彼女、ひとつコンクールで賞に入ったって聞いたんです。それで、お祝いをしてあげたくて」
「知り合ってどれくらいになるの?」
「1年は過ぎましたね、年度が変わってから僕がその式場に入るようになったので」
「年齢はどれくらい?」
「はっきり聞いてないけど、僕よりは若いと思います」

 私は胸を掻きむしられるような、鈍い痛みと恥ずかしさを堪えながら、オリーブに手を伸ばした。なにをばかみたいに期待していたんだ。こんな私を尚司くんみたいな素敵な人が相手するわけはないのに。そうだよ、私達は単なるラーメン仲間だったんだよ。私は雰囲気を壊さないように頼んだキール・ロワイヤルを一気に飲み干した。甘い。甘ったるい。まるで私の希望的観測みたいだ。

「すみません」

 私は手を挙げて、店員を呼んだ。

「ビールありますか」
「瓶のモレッティでしたら」
「じゃあそれを」

 私は運ばれてきた瓶ビールをグラスに注ぎ、やはり一気に飲み干した。

「祥穂さん……どうかしましたか?」
「ううん、大丈夫。ええと……ウェディングプランナーの立場から意見を述べるなら、仕事場で一緒になるだけの関係の異性であれば、まずは軽めの贈り物がいいと思います。ハンカチなどが無難でしょう。お若い方が対象でしたら、ジルスチュアートのハンカチなどはいかがでしょうか。百貨店1階の婦人小物コーナーなどで購入可能です」
「なるほど、ジルスチュアートのハンカチですね」
「ちなみに、個人的な連絡先は交換していますか?」
「いえ、なかなかタイミングが合わなくて」
「それなら、その時に一緒にメッセージカードを準備しましょう。それに連絡先も書いておきましょう」
「すごい、祥穂さん、さすがですね……! ありがとうございます、早速今週中に準備します!」

 私はビールをグラスに注いだ。それも一気に飲み干した。瓶が空になったので、私はおかわりを頼んだ。

「祥穂さん……さっきからどうかしましたか?」

 おかわりのモレッティが届いたので、私はグラスに注いで更にもう一杯飲み干してから、尚司くんを見つめた。

「尚司くん、私の話も聞いてくれる?」
「はい」

 尚司くんはきょとんとしながら私を見つめる。だめだ、なんにも気付いてない。私ばっかりが空回りだったんだ。いつもいつも、空回りだったんだ。私は深いため息をついてから、視線をグラスに固定したまま話し始めた。

「私にもね、好きな人がいたんだ。ひょんなことで知り合った人で、話しているだけでとても幸せだった。こんなにいい人が世の中にいたんだ、って思う位にいい人で、その人といられる時間が、これまで生きてきた中でいちばん幸せかも、って思ってしまう位に幸せだった。その人とは気のきいた店には全然行ったことなくて、いつも地元のラーメン屋で定例会してた。その店の餃子が美味しいってことを教えてくれたのも、その人だった」

 尚司くんの空気が変わった。でも、私は顔を上げられなかった。話し続けた。

「幸せだった。すごく、すごく幸せだった。いい雰囲気なのかな、って私は勝手に思い込んでた。でも違ってた。その人には、他に好きな人がいて、いい雰囲気になってる。このままいけば、うまくいくんだと思う。それを私は……祝福したい」

 何か言いたげな彼の気配を制して、私は財布から五千円札を出した。

「ちょっと飲み過ぎちゃったね、これ位かな。先に帰るね」

 私が立ち上がって、出口に早足で向かおうとすると、尚司くんも立ち上がった。

「祥穂さん!」

 私は唇を噛んで、立ち止まる。深呼吸して、精一杯の笑顔をつくって振り向く。

「しばらくダイエットするから、天馬家には行かないね。ジルスチュアートのハンカチ、お忘れなく」

 そして私は踵を返して、店を後にした。いつの間にか、雨が降り始めていた。私は前を向いて早足で歩き出す。雨の夜に、ヒールの靴音が響いた。





(つづく)


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