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扉を閉めたら ─福島太郎さんへの感謝をこめて─

 太郎さんの記事を読んだのは、人生の中でのある扉をひっそりと静かに閉めた日のことでした。

 太郎さんへの感謝の思いを綴る前に、この閉めた扉について少しだけ書かせてくださいね。ちょっと長くなるかもしれません。



 この十数年ほど、持病の統合失調症とパニック障害ゆえの体調不良に悩み続けた歳月を送ってきました。もともとの特性である、ADHD×ASDの二次障害による持病です。このうち、パニック障害は比較的新しい持病なのですが、この子がやってきてから、これまでのスタイルでの演奏活動はできなくなりました。「オペラ歌手」として担ってきた仕事を、出来なくなりました。

 なにしろ、人の多いところがすっかり駄目になってしまったのです。大きなホールも劇場も、オーケストラも、合唱も、写真を見るだけでもパニックの症状が出てくるようになりました。動悸とめまいに始まり、頭がカーッとして何も考えられなくなってしまいます。体を動かせなくなります。そんなわけで、毎週楽しみにしていたEテレのオーケストラ演奏も、すっかり聞けなくなりました。オペラの公演にも、演奏会にも、すっかり行けなくなりました。

 なんとか乗り越えて、いままでの延長線上にある活動を続けてほしいという声も、多くいただきました。そうした声にお応えしていこうと、さまざまな努力を重ねました。

 先日、久しぶりにオペラの勉強をしようと考えた機会がありました。夏のあいだ、音楽の仲間たちが頑張っているのを見ていて、わたしももう一度頑張ってみたくなったのです。

 ヴォーカルスコアを取り出して、久しぶりにある役を歌ってみました。声もいい感じ。感情表現も昔より深められているようだし、エモーショナルな部分と技術の部分とのバランスも、俯瞰で見てみると悪くありません。冷静な状態のまま、深いゾーン状態に入ることができました。いまの年代の自分での新しい表現に向けて、一歩踏み出せるかもしれない。そう感じることができました。

 けれど、そのあとから大きく体調を崩してしまいました。理由として考えられるのは、深いゾーン状態に入ったまま歌っていたことです。激しい感情表現が求められる役との内面シンクロ率は昔よりも深まりました。演奏途中は冷静にコントロールすることができていました。時間が非常にゆっくり流れる、深いゾーン状態に入ったまま、歌っていくことができました。

 深いゾーン状態は、静かな海の底のような世界です。自分は激しい音楽を発信しているはずなのに、内面はとても青くて、深くて、かぎりなくひとりなのです。茶室にいるときの感覚とも似ています。息をすると、こぽこぽと泡が水面に上っていくような錯覚を覚えます。自分を俯瞰で眺めることができて、指先の動きひとつまで完全に統制下にあるのを感じます。とても魅力的な状態で、ずっとこの静けさの中に身を置いていたいと願わずにはいられません。

 でもそれは、心身に大きな負荷をかける行為であったようです。深海にはずっといられないものです。通常と異なる状態になってしまった脳が、脳内の伝達物質を多く出しすぎてしまったのでしょう。自主稽古のあと、頭がカーッとなってしまい、体を動かせなくなってしまい、寝込んで休むことになりました。

 それと前後して、すこし大きめのホールにお伺いする機会がありましたが、そのあとでもやはり体を動かせなくなり、薬を多くしながら日々の対応を重ねることとなりました。

 オペラ歌手として仕事を担うには、求められる条件が多くあります。声のマテリアルが合致しているかはもちろんですが、役柄に沿った外見や組織での役割を理解して担えるかなども、大事な条件です。

 でも、なにより大事なのは心身の健康です。ソリストの心身が健康でないと、プロダクションはその役を任せきることはできません。プロダクションもひとつの公演をビジネスとして成功させなければならないので、人選に関しては非常にシビアです。

 いまの自分の状態を冷静に分析してみると、「これ以上オペラ歌手として仕事を担うことは、現実的ではない」という結論に達しました。夫とも慎重に対話を重ねながら、この結論に至りました。

 これから音楽面での活動としては、歌曲を中心としたサロンコンサートや録音を中心として、芸術世界を深めていこうという結論に、静かに着地することができました。ずっとこの結論は見えていたのですが、覚悟を決める日を先延ばしにしていたのでした。

 これからの人生を生きていくために、オペラ歌手の扉をきちんと閉めることを決めた。

 昨日の午前は、そんな選択と決断の時間を過ごしていました。

 そんな日の午後、福島太郎さんの記事が届きました。



 noteを開いて、太郎さんからの通知がたくさん届いていることに気付いたのは、午後のことでした。ああ、太郎さんが読んでくださっている、嬉しいなあ……。静かに喜びを噛み締めておりました。

 しばらくすると、また通知が届きました。太郎さんが、記事を紹介してくださったようです。

 最初この記事を読ませていただいたとき、理解が追いつきませんでした。何度か読み返して、涙が溢れてきました。

 太郎さんの創作への姿勢に、いつも尊敬の念を抱いておりました。利他の精神を実践され、noteの仲間の皆様方に優しく慈愛、そしてときおりユーモアに満ちた眼差しを注いでいらっしゃる太郎さんはまばゆい存在で、わたしは遠くから見つめるファンでした。

 そんな太郎さんが、小説の世界に深い共感を抱いてくださった。ひとりの書き手としてのわたしを認めてくださった。

 歌い手としてひとつのキャリアを諦めた同じ日に、書き手として作品を認めていただく機会が訪れたのです。なんだか象徴的に思えて、仕方がありませんでした。

 嬉しさと混乱がないまぜになって、ひとりで小声で「わっしょい、わっしょい」と唱えつつ、腕を曲げ伸ばししながら、10分ほど部屋の中をぐるぐると歩き回りました。おちつけ、おちつけ、と自分に言い聞かせながら、部屋の中を回り続けました。

 「弦月湯からこんにちは」は、太郎さんがおっしゃるように創作大賞の前からnoteでの発表を始めました。その頃のタイトルは「メタモルフォシス」というものでした。2020年に公募への応募作として書き始めて、その後塩漬けにしていました。

 小説の発表を始めた頃のわたしは、創作大賞という大きな祭の存在を知らずにいました。最初は長い体調不良から回復するため、自分自身のためだけに書いていました。ただ、キャリアの転換点に立つ中、これから公募への応募をしていくにあたって、WEB上に小説のポートフォリオがあったら、のちのちなにかと便利かもしれないな……と思って、発表を始めたのです。

 そしたら、創作大賞が始まりました。過去作でもOK、noteでハッシュタグをつければ誰でも応募できると知りました。新しい時代の文学賞だ。これに託そう。素直に、そう思いました。

 けれど、ジャンル分けに悩みました。ミステリーやホラーは、小心者のわたしには書けない。ファンタジーというわけでもない。残るはお仕事小説か、恋愛小説……。はて、どうしよう。

 悩んだ末に、恋愛小説部門に決めました。恋愛小説部門に、大好きなポプラ社さんがいらっしゃったので、ポプラ社さんの編集の方に読んでいただける機会があったら嬉しいなという一心で決めた次第です。この志望動機、すこし太郎さんと似ているなと思って、いつか記事を読ませていただいたときに嬉しくなったのを記憶しています。

 応募期間中、「弦月湯からこんにちは」を書いていく中で、現時点での自分の限界や執筆量を把握することもできました。そして、書きたい方向も見えてきました。

 創作大賞期間は、noteのイベントにも2度ほど参加させていただきました。太郎さんもお仲間の皆様とご一緒されているのをお見かけしておりましたが、皆様方があまりにも華やかで、なんだか気恥ずかしく、2度とも遠目で見守ることしか出来ませんでした。あのとき、皆様方にご挨拶できていたら……と、いまも毎日悔やんでおります。あらためて、お会いできますことを楽しみにしております。

 僭越ながら、太郎さんが執筆される作品の根底に連なるテーマと、自作のテーマには共通するものが少なくないと以前から感じておりました。自分の暮らす土地への愛情。そこに根差して生きる人々への共感と親しみ。人間を信頼したいという希望。人間は善き存在であるというささやかな宣言。そうした物語を生み出し続ける仲間として、これからも仲良くしていただけたら嬉しい限りです。


 わたしの好きな太郎さんの作品もぜひ、ご紹介させてください。

〈あらすじ〉

 美しい日本の原風景、そして日本の心が残る福島県会津地方。日本ワインの産地として福島県会津地方はメジャーとは言えないかもしれません。しかし50年以上前からワイン用葡萄の生産が行われており、近年の会津ワインの品質の高さは国内外のワイン業界において注目されつつあります。

 会津という土地を愛し会津ワインの原料となる、高品質な葡萄作りに挑戦し新たな産地としての道を開拓した若者たちの始まりの物語。

 3年間という期間限定の職員として役場に採用された女性が地域の人たちに誇りをもたらし、頑なだった農家の青年に小さな奇跡を巻き起こします。

 ひっそりと、好きなんです。日本ワイン。ワインツーリズムにも何度か参加したことがあります。

 地域に根差した文化振興を、長く自分のテーマとしてきました。その中で、興味が日本ワインに向かい、共感を深めていくのは自然な流れだったのかもしれません。日本ならではの風土と歴史に根差した日本ワインは、その地域を象徴する文化でもあります。

 会津にゆかりのある若者たちが生み出す、地に足のついた奇跡。全編を貫く利他の精神。この物語を読んで、胸が熱くなりました。

 太郎さんは公務員でもいらっしゃいます。地域に根差した行政の立場から、公の利益のために日々働き続けていないと生み出されない、力強い言葉の数々に大きな励ましを得ました。

 太郎さんの新刊「公務員になりたいと思った時に読む本 ─公務員とは職業でなく生き方です─」では、タイトルに太郎さんの信条が表明されています。

 こちら、読ませていただけますことを心より楽しみにしております。夫もとても楽しみに、感激しておりました。あらためて感謝申し上げます。ありがとうございます。


 いつか太郎さんとご一緒に、駒込をご案内できますことを楽しみに願っております。

 そしていつか、福島にも遊びにお伺いしますね!


 今後とも、よき仲間としてどうぞよろしくお願いいたします!






 


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