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「ちいさなくらし」 第1号 ── くらしがはじまるとき


  「ちいさなくらし」と題したミニマガジンを作ってみようと思い立ちました。

 基本的に月曜日に更新していこうと思います。でも、毎週って決めちゃうと心がしんどくなってしまうので、更新する月曜もあれば、更新しない月曜もあるという、ゆるゆるスタンスでやっていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。




「ちいさなくらし」に、ずっと憧れていました


 独身時代から、この「ちいさなくらし」というキーワードにずっと憧れてきました。いまはまだ詳しく語れませんが、実家ではさまざまなことがあったので、温かい家族の暮らしというものにずっと憧れていたのです。

 結婚して、新しい名字がまさに「ちいさなくらし」となったときには驚きました。ずっと憧れていた人生にようやく移行できたような気がして、仕事も実人生も新しい名字で統一することを決めました。それまでの人生にひとつ区切りをつけられたようで、とても嬉しかったです。そして、実家での苦い人生とようやく距離を置けたような気がして、安堵の気持ちに包まれました。

 新しい名前で、新しい家族と新しい家で暮らす毎日は、ほんとうに穏やかで満たされています。家は心落ち着く場所であったのだと、四十数年の人生ではじめて知ることができました。こんなに穏やかでいいのかしらと落ち着かなくなってしまったりすることもありますが、結婚五年目にしてようやく穏やかな毎日に慣れつつあります。

 華やかな場所よりも、舞台での称賛よりも、夫との穏やかな語らいの時間がいちばん幸せです。そして、家でカフェオレを飲みながら、ノートやパソコンに向かう時間の穏やかさに満たされています。

 おそらく第二の人生に向けて、ゆっくりと移行中なのでしょう。それを惜しむ人もいるのかもしれませんが、ようやく見つけられたちいさな幸せをなによりも大事に育てていきたいと願うばかりです。


人生は憎むものではなく、愛すべきものだった


 もうちょっとだけ、過去のことを綴らせてくださいね。

 十代から三十代にかけて、人生がしんどくて仕方がありませんでした。自分の容姿にコンプレックスを持っていたし、卑屈で劣等感のかたまりで、いつも人の顔色を窺っていました。そうすると、嗅覚が鋭敏なへんなひとたちが寄ってくる確率も高く、そういうひとたちを邪険に扱うこともできず、人生がへんな方向に進んでいくことも、たまにありました。さまざまなマルチの勧誘のターゲットになりやすかったり、利用されたり搾取されやすい人生でした。さいわいなことに、ずっと友達や仲間には恵まれている人生ですが、そういう寄ってくるひとたちは、ほんとによくありませんね。

 その頃は、自分の人生を憎んでいました。生まれも、からだも、こころも、思考も、こうでしか生きられない自分を責めて、どうして普通に生きていくことができないのかと、ひたすらに責め立てていました。

 なにかのきっかけがあって、自分の人生が救済されるそのときを、ただひたすらに希っていました。なにかひとつのきっかけがあれば、オセロの大逆転のように黒から白へとすべてがひっくり返るかもしれないと、ずっと願っていました。

 でもあるとき、救済を願うことをやめました。自分の願望にしがみつくのをやめました。それまでと違う選択肢に基づく行動を繰り返しました。そうしたら、いつのまにか過去の願望を越えて、平和で穏やかな人生にたどりつくことができました。

 いまはようやく、自分の人生を愛することを始められました。周囲の願望に応えようと張り切ることを手放して、自分の心の中のささやかな声をすくい上げていくことを、ようやく始められました。

 これからますます、これまでの過去とは違った人生を歩んでいくのかもしれないと、漠然と感じています。その過程において、もしかしたら一時的に離れるひともいるのかもしれません。寂しいことではありますが、わたしが新しい人生を確立できたときに、いつかまた心から笑い合うことができればいいと願っています。

 わたしはようやく、自分の人生を愛することを始められました。四十数年かかってたどりつけたその選択を、いまは大事にしたいと願っています。


これからの音楽活動


 音楽活動は、ずっと続けていきます。けれど、以前に書いたように大勢の場所での仕事はできなくなってしまいました。必然的に、少人数でのサロンコンサートなどが中心になっていきます。

 ピアニストさんと二人でつくりこんでいけるリサイタル。これが、いまのわたしにとって最も落ち着く演奏の形です。信頼のおけるピアニストさんとは長期的に、定点観測のように共に音楽を深めていきたいと願っています。

 いま、ざっくりではありますが、2028年までの演奏予定は決まっています。ドイツ歌曲のほかに、イタリア近代歌曲の演奏計画もたてています。この計画に沿って、自身の芸術もゆっくりと深めていきたいです。

 ただ、最近では歌いすぎるとパニックの発作が出てしまうようになったので、歌う機会はなるべく少なくしています。歌いすぎると、からだからストップが出るようになりました。人生の中でのこれまでの無理が出てきたのでしょう。歳を重ねていくなかで、仕方のない変化だと感じています。

 でも、書くことができるのは、とてもしあわせです。正直なところ、わたしにとっては、書くことも歌うことも同義なのです。ただ、あんまり根を詰めて書きすぎても、やっぱりパニックの症状が出ちゃうので、いずれにせよバランスが大事だと感じています。noteの記事もそんなわけで、あまりたくさん書いたり読んだり、コメントすることができず、申し訳ございません。

 noteとの出会いで、そしてこの文章を読んでくださるあなたとの出会いで、わたしの人生は幸せで実り多いものになりました。本当に感謝しています。ありがとうございます。


「ちいさなくらし」で、やってみたいこと


 ゆるゆると始めた「ちいさなくらし」。これからやってみたいことを考えてみました……が、あんまり浮かんできません。

 ただ、ひとつ浮かんでいるのは、「Webラジオを再開させたい」ということ。コロナ禍の時期に、やっていたんです。そのときはanchorというアプリでやっていましたが、消えてしまいました。stand-fmにもアカウントがあるのですが、休眠状態です。

 月に1〜2回ぐらいのゆるい更新でやれたらいいなと思っています。stand-fmの休眠アカウントを耕し直すか、YouTubeに載せていくかは考え中です。あんまり無理をしないように、人生の楽しみを増やしていくという心持ちでできたらいいな。そんなふうに願っています。

 マシュマロも開設してみたので、よろしければメッセージお待ちしております。メッセージが来たら、なにかお返事を差し上げるというのも「ちいさなくらし」でゆっくり取り組んでいきたいです。


 そんなこんなで、ゆるりと「ちいさなくらし」はじまりました。


 どうぞよろしくお願いいたします。





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