小説「駒込珈琲物語」第14話(全18話)
「栞さん、こっちこっち!」
ダリアの花の笑顔のような女性が、大きく手を振っている。晴美さんだ。私も笑顔になって、手を大きく振る。手伝いに来てくれた会社の後輩の男の子、新居浜くんがぺこりと頭を下げる。
「ありがとね、前日の仕込みから入ってもらっちゃって」
「いいの、いいの。うちの会社も、〈こまごめ楽座〉には気合入っちゃったみたいだから。あ、こちらは明日も手伝いに入ってくれる、同じ企画部の新居浜日菜太くん」
「新居浜です。どうぞよろしくお願いします」
体の大きな新居浜くんは、晴美さんに律儀にお辞儀をした。学生時代には柔道部のキャプテンだったという彼は、いつも礼儀正しい人だ。最近は仕事のサポートに入ってくれることが多い新居浜くんだけど、今回も近場の大塚に住んでいるからと、部長から指名を受けた。
「はじめまして。内田晴美といいます。今回の〈こまごめ楽座〉の、いちおう首謀者です」
そして、晴美さんは、いたずらっ子っぽく笑った。
「〈こまごめ楽座〉、こんなに大きなイベントになるって思ってなかったから、なんだかくすぐったくって」
「晴美さんのお人柄ね」
晴美さんは照れたのだろうか、無言の笑顔で応えた。
「さあ、入って、入って。大家さんが、さっき鍵を開けてくれたの」
「おじゃまします」
私達は、おそるおそる会場となる建物の中に入った。霜降銀座商店街の十字路、その対角線上にあるコンビニの少し先に行ったところの建物が、〈こまごめ楽座〉の舞台だ。
壁には、〈こまごめ楽座〉のポスターが貼ってある。晴美さんのお友達の漫画家の方がデザインされたというポスターは、老若男女、様々な人たちが笑顔で青空を見上げていた。真ん中には笑顔のゴメスがいるのも可愛らしくて、私のお気に入りだ。
「ほんと、このポスター素敵よね。大好き」
「ね! ゴメスがみんなをひとつにしてくれてるみたい」
「ほんとね……。そういえば、こないだの台風の日、ゴメスと会ってね」
「あら! ゴメス、台風、大丈夫そうだった?」
「猫仲間のいるガレージに避難するって言ってたわ」
「それならよかった」
私は、台風の日のゴメスとの邂逅を思い出す。
──「嵐が、嬉しそうに歌って、踊っているのニャ」
──「これが、嬉しそうなの?」
──「そうだニャ。嵐は、生まれてもすぐに消える運命だからニャ。だから、いまここで、生きている瞬間の喜びを、思いっきり歌って、叫んで、踊っているんだニャ。オレたちも、嵐と一緒に踊るのニャ。ほら、しおりも踊るのニャ」
そして、ゴメスと私は、嵐と一緒に踊った。私のことを嵐の初心者と、ゴメスは言ってたけれど、初心者は初心者なりに嵐を楽しめた気がする。
「ゴメス、他になにか言ってた?」
「うーんと、『嵐は、生まれてもすぐに消える運命だから、いまここで生きている瞬間の喜びを、思いっきり歌って、叫んで、踊っている』って」
「素敵ね」
「そのあと、いっしょに踊ったのよ」
「ゴメスと?」
「うん。ゴメスと、嵐と」
「栞さんらしい!」
そして、晴美さんは大きく笑った。私もつられて、笑い出す。笑い合う女性ふたりを、新居浜くんはぽかんとして眺めていた。
「あの……ゴメスって、この猫ですか?」
「うん。駒込の、オスの三毛猫なの」
「……しゃべるんですか?」
「おしゃべり大好きよ」
新居浜くんは、鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった。
「駒込はね、人も猫もしゃべる街なの。さ、まずは掃除から始めよっか」
その後も、私達はゴメスの話で盛り上がりながら、手を動かし続けた。午後になったら、他の出店者の方も合流して、〈こまごめ楽座〉の会場はスタンバイが整った。
最初は緊張気味だった新居浜くんも、やがて駒込の皆さんとも打ち解けて、一日の最後には冗談を言い合うようになっていた。人懐っこい面があるとはいえ、いつも堅物の新居浜くんが珍しい。そう思いながら、微笑ましく眺めた。
「〈こまごめ楽座〉、いよいよ明日となりました。ここまで漕ぎ着けられたのも、ひとえに皆様方のご協力あってのことです。本当にありがとうございます!」
晴美さんの言葉に、皆が拍手をする。
「明日の〈こまごめ楽座〉、どうぞよろしくお願いします。終わったら、みんなで美味しく乾杯をしましょう」
皆が笑顔になる。誰からともなく、一本締めをして明日を迎えようということになった。皆が目と目を合わせて、呼吸を整える。
「いよーッ!」
パンッ!
大きな拍手が、会場に鳴り響いた。笑顔が弾けて、拍手が広がる。さあ、明日はいよいよ〈こまごめ楽座〉だ。
(つづく)
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