「ちいさなくらし」第7号 ── 音楽との新しい向き合い方
「ちいさなくらし」第7号になりました。早いものですね。少しずつ回復に向かっている自分を感じていて、とても嬉しいです。そして、新たな生活習慣を築きつつある自分に手応えを感じています。
すこし早いけれど、日曜日更新です。ラジオは明日あらためて。
クラシック音楽がつらくなっている
しばらく、クラシック音楽にふれるのがつらい時期が続いていました。正確には、いまもまだ続いています。声を出すのもつらいし、音を聞くのもつらい。でも部屋を静かにしていても、頭の中で音楽が鳴り響いてしまう。
頭の中でのおしゃべりが、ずっと止まらないのもつらい一因です。これ、みんな、頭の中でずっとおしゃべりしているのかと思っていたら、夫はそうではないということを知って衝撃を受けました。
なるべくそこから離れたいと思って、クラシックとは関係のないボサノバを聞いたり、ジャズを聞いたりしていました。大好きなTOKYO FMにもよく頼りました。
こんなに音楽がつらい自分を責める気持ちも湧いてきました。いま書きながら気が付きましたが、なにかことがあると私はすぐに自分を責める方向に考えがいってしまいますね。この認知の歪みを整えていくことが大事なのでしょう。
なぜこんなにもクラシック音楽にふれるのがつらくなってしまったのか。自分でもよくわかりません。カウンセリングの力を借りないととも思いますが、電車に乗るのがまだつらいので、先生のところにお伺いできません。
だから、「わたしのトリスタン」を書くのもつらくなっていたのですね。いろいろとあとから気が付きます。というか、いまもまだ、現在進行形で音楽がつらいということに気がついていませんでした。
どうしてこんなに音楽がつらくなってしまったのか
この問いを避けては通れませんね。どうしてこんなに音楽がつらくなってしまったのか。どれだけ音楽がいまつらいのか、つらいと感じている部分にマイクを向けてみたいと思います。
「あんな虚飾に満ちた世界に帰りたくない。もう、自分にとって美しいものだけを追い求めていきたい。心温まる、本当のものだけを追い求めていきたい。もう、虚飾、虚栄の世界はいやだ」
あらまあ、ずいぶんと過激な声が聞こえてきました。そうか、そうか、そんなに嫌だったんだねえ。
「私がかつて、今よりも若くて美しかった時、利用して搾取しようとする男たちがやってきた。それに怒りをずっと抱いてきた。そうした男たちを呼び寄せてしまう自分にも怒りを抱いたし、ずっと責め続けてきた。だから私は、早く歳を重ねたかった。美しくなくなりたかった。そうすれば、男たちを遠ざけることができるから」
そんなこともありました。本当におぞましく、いやな出来事でしたね。そういう輩って、自分に反発しない従順で秘密を守ってくれそうな若い女の子をいつも探しているんですよ。許せませんね。
「だから、結婚したときは本当に安堵したの。もうこれ以上、変な人たちに振り回されないで済むって。夫のためだけに生きていけるって。だから、もうこれ以上、私のテリトリーに変な人たちを侵入させないために、活動名も新しい姓にすることを決めたの」
いろんな思いがあって、旧姓での活動をやめました。すべて新しく、仕切り直しして始めたくなりました。
「いろんなことがあった。ネットストーキングもされたし、風評被害も受けたし、それで持病と共に暮らすようになった。それらすべてをなかったことにしようと思ってやってきたけれど、それは自分に無理をかけることと同義だった。だから、ずっと自分を責めてきた。このままじゃだめだ、このままじゃだめだって。声も、このままじゃいけない、仕事につながらないって思って、より強く、より太い方向に向かわせていった」
この20年くらい、オペラ業界の中でやっていかなくちゃとあがき続けてきました。でも、それは本当の自分の声を裏切っていくことだったのかもしれません。
「いま、ようやく自分のほんとうの声を取り戻しつつある途中なの。それには時間がかかるの。だから、余計な刺激を入れたくないの」
そうか、そうか。そうだねえ。時間はかかるね。わかるよ、これまでの時間を思うと。ただ、12月に演奏会があるんだ。どうすればいいと思う?
「いまの自分でやればいいと思う。不完全でもいい。不格好でもいい。それでも取り繕おうとせずに、いまの不完全で不格好な自分をそのままぶつければいいと思う」
あなた、音楽がいやなんじゃないの?
「音楽がいやなわけじゃない。私がいやだったのは、この20年近くのあいだ、音楽に付随してきたあれやこれやの余計なものなの。それをあなたが取り除く決心がつけば、私はいつでもあなたに応える用意はできている」
そっか、余計なものが嫌だったんだね。うん、確かにそれは私も嫌だよ。もうそういうものからは、距離を置こうね。時間がかかっても、ゆっくり取り除いていこうね。私たちのかけがえのない人生から、ゆっくり取り除いていこう。
「私、音楽するのは好きだよ。でも、ずっとあなたの目が曇っていた。富とか名声とか地位とか名誉とか、あなた、いつのまにかそういうもののために歌っていた。だから、そういう目が曇ったあなたと音楽するのは好きじゃなかった。いやだった」
ああ、目が曇っていたのは私のほうだったんだね。だから、心の奥底のあなたは、こんな私と音楽するのがいやだ!って拒絶していたんだね。
「ようやくあなたが、私の方を向いてくれたから、ここからまた一緒に音楽をやっていけるよ。私はずっと、音楽をやりたかったんだよ。あなたと一緒に、音楽をやっていきたかったんだよ」
そうか、ごめんね。私が間違っていた。
「自分を責めるのはやめて。そんなことは求めてない。私はただ、あなたと音楽をやっていきたいだけ。自由に、のびのびと、好きな歌をうたっていきたいだけ」
ありがとう。
「あなた名声とか地位とか肩書とか、いろんなものに心動かされる癖があるけど、正直、そういうのどうでもいいの。誰かに褒めてもらえたから偉い? 誰かに認めてもらえたから偉い? そんなのナンセンスよ」
ほんとね、そのとおりね。
「そんじゃ、このへんで。あとは自由にやってね」
いつのまにか、もうひとりの自分との対話になっていました。恥ずかしい気持ちもありますが、治癒の記録として残しておきます。
いろんなものを取っ払って
自動筆記のように自分との対話を書いていきました。もうひとりの自分、インナーチャイルドでもあるのかもしれません。こうやって日の当たるところに、彼女を引き出せてよかったです。
たしかに彼女の言う通り、私はいろんなものに目が曇ってきました。さまざまに戦略を立てて、物事に取り組まないと結果は得られないと思っていたり、肩書や名誉に惹かれてきました。恥ずかしいかぎりです。
この20年間、業界の男の人たちに怒っていたことも遠因だったと知ることができました。これは「わたしのトリスタン」を断筆してしまったことともつながっていますね。根深い問題がありそうです。
この怒りが、クラシックの作曲家すべてに向かっていたのかもしれません。男性への怒り。それで、歌うのが嫌になっていたのかもしれません。
同時に、男性とはそういうものだという諦めがあったのかもしれません。
けれど、夫は違うんですよね。今まで出会ったどんな人とも違う。心から信頼して、くつろぐことができます。
20年間の修羅の道ではなく、いまの環境にあることを肯定して、もう一段階深く自分たちの人生に委ねる決心がついたら、わたしの歌は変わるのかもしれません。
そういえば、独身時代にこんな文章を書いていたことを思い出しました。
2020年の記事です。なんだか、この4年間、焦っていたみたいです。
音楽することを、諦めちゃだめだ。それは自分の人生だったのだから。自分の人生なのだから。諦めちゃ、だめだ。
しばらく、自分の治癒のための記事が多くなるかもしれません。お見守りいただければ幸いです。
それではまた。どうぞ穏やかな夜を。