モノオペラ「夜の底で」台本
登場人物…ひとりの、名前を持たない〈女〉。人生の悲嘆にくれている。
編成…ソプラノ、ヴァイオリン、ピアノ
*
(ヴァイオリンの高い音色。ピアノ椅子に腰掛けた〈女〉、ぽつりぽつりと歌い始める)
〈女〉:
夜の底で、私は
夜の底で、私は
夜の底で、私は──
(ピアノ、アルペジオ。しばらくヴァイオリンとの二重奏。やがて、ヴァイオリンが時計の速度でAの音を奏で始める)
〈女〉:
時計の秒針が鋭く響く
まるで私を切り刻むように
まるで私をついばむように
小鳥のように夜が私をついばみ蝕む
ナイフのように夜が私を切り刻む
そうして私は
夜の底で膝を抱えるばかり
(ヴァイオリン、呻きのように「夜の底」のテーマを奏でる。〈女〉、徐々にピアノから離れ、ヴァイオリンと対話するように歌う)
〈女〉:
自分を許せないのはなぜ
自分を慈しむことが出来ないのはなぜ
布団の中でそんな問いを繰り返す
わからない
わからないの
自分でもなぜだかわからない
(〈女〉、ピアノの椅子に腰掛ける。不協和音。ヴァイオリンの慟哭のようなソロ。そののち調が変わり、静かにピアノが奏でられ始める)
〈女〉:
指が届かなかった世界
そこにいられなかったこと
ずっと責め続けてきた
憧れと劣等感のマーブル模様で
いつも心はどろどろしてた
(ヴァイオリン、うっすらと「夜の底」のテーマを奏でる。徐々に曲調は変わっていく)
〈女〉:
抜け出したい
このマーブルの渦の中から
夜の底から抜け出したい
まったく違う選択肢
目の前にある選択肢
選ぶならいま
いまこの時
扉を開けるなら
いまこの時
(〈女〉の最後のフレーズを、ヴァイオリン高らかに繰り返す。ヴァイオリンのカデンツァ。調が変わり、「夜明け」のテーマをピアノが奏で始める)
〈女〉:
気がつくと鳥の声
カーテンからは仄かな光
夢を見ていたのかしら
(〈女〉、ピアノから離れ、舞台正面に向かう。窓を開けるマイム。その間、ヴァイオリンは静かに「夜明け」のテーマを奏で続ける)
〈女〉:
ベッドから起き上がり
カーテンを開き窓をあけると
朝の光に包まれた
(ヴァイオリン、カデンツァ)
〈女〉:
一日が始まる
今日も一日が始まる
何かを始められる気がする
(〈女〉、歌いながら静かにピアノへ向かう)
〈女〉:
ひんやりした朝の空気
動き始めた一日の気配の中
私は大きな欠伸をした
(ヴァイオリン、「夜明け」のテーマ再び。ピアノが重なり、静かに消えていく)
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