GWにテラスハウス軽井沢を観たよ

 GWの10連休で、Netflix『テラスハウス』軽井沢編をまとめて観た。1話3-40分、全49話となかなか長いけど、倍速でみればだいたい1日1時間程度で見終わる。
 「テラスハウス」論みたいなのはたぶんネットにたくさんあるので、総合的に語るのはとりあえずやらないけど(個々の推しとかはまた会った時に話しましょう!)、特に気になった2点を書いてみる。恋リアの代表格たるテラハに対してはいろいろと先入観をもってしまっていたけど、やっぱり見てみると思ってもいなかった発見があった。

テラハの基礎知識

・男女6人が「テラスハウス」で共同生活する。男部屋と女部屋に3人ずつ分かれる。
・「用意したのはステキなおウチとステキな車だけ」「台本は一切ございません」。
・メンバーは個々で自由に「卒業」できる。その後はすぐに新メンバーが補充される。
・「軽井沢編」はだいたい1年。収録・編集後、おそらく数週分をまとめてスタジオコメントの収録が行われ、実際に配信されるのはさらにタイムラグがある。
・スタジオレギュラーとして、YOU・山里亮太ら6人が映像を見ながらコメントをしていく。副音声の場合は本編中にもやじ馬的なコメントが流れる。
・Netflixなので海外配信され、日英中韓葡の字幕が付く。

テラハ軽井沢34話

 テラスハウスでの収録は1年にわたる。つまりは、メンバーがテラスハウスにいる間に、常に『テラスハウス』の配信がされている。それをメンバーがたびたび観ている、という仄めかしは今までもされていたのだけど、34話では実際にメンバーが配信を観ている様子が映し出される。スタジオレギュラーが辛辣なコメントをするのを見ながら、メンバーは自分について「性格悪すぎだよね」「客観的に見たら友達にしたくないよね」と言い、他のメンバーに改善をアドバイスされたりもする。スタジオの徳井さんはさらにこの映像を見て「新しい次元に入ってきたな」と言っているので、たぶんこの編集自体が異例なのだろう。
 『テラスハウス』のような共同生活もの、あるいはメンバーが限定されているものは一種の恋リア的閉鎖空間のようにみえる。けれど34話においては、テラスハウスがスタジオさらには視聴者空間をフィードバックしていること、『テラスハウス』という(編集された)番組およびそれをめぐる言説もまたテラスハウス内に登場することが表される。
 テラハ軽井沢ではたびたび、SNSでメンバーに直接さまざまな意見が届いていることが仄めかされる。また誰かの卒業後に新たに入るメンバーは、すでに放映分の『テラスハウス』を観て、現メンバーのさまざまな(編集された)言動を知って入ってくる(その上で「番組で見るのと違った」等の発言がされる)、つまりは視聴者がテラスハウスに遅延的に侵入する形式をとっている。これらもテラスハウスという空間の奇妙な多層性を形作る。
 恋リアが単なる箱庭鑑賞ではない、多層的な構造を取っている/自覚しているという観点は、フィクションのレイヤーを取り込んだ『オオカミくんには騙されない♡』を含め、今後よりスタンダードなものになっていくだろう。

テラハ軽井沢46話

 46話は女子メンバーがいろいろと揉める回なのだけど、どうも「カメラの回っていない裏で」「シナリオを考えて話を進めた」ことで疑問が生まれたらしい。「本当に本心でテラスハウスで生きているのかな」という台詞にけっこうびっくりした。
 テラスハウスの建前は「用意したのはステキなおウチとステキな車だけ」だ。『オオカミくんには騙されない♡』のようなルールや『今日、好きになりました。』のような時間制限もなく、ミニマムな設計を身上とするシリーズに、しかしこの時点で何かポリシーのようなものが発生してしまっている。テラスハウスは「本心で生きなくてはならない」。おそらくそこには「共同生活のために本音で話す」「恋愛事情について隠しごとをしない」「シナリオ的に振舞わない」「リアリティ番組という性質を念頭に置いて行動する」といった多数のサブ的なポリシーがあり、常には圧力として働きつつ、けれどそれはどうもメンバー間で統一見解がないため、どれを持ちどれを持っていないかで46話のような諍いが生じるのかもしれない。
 ドキュメントではない「リアリティ番組」であるがゆえに、メンバーの個々で想定した「リアリティ」に殉ずるため、ルールではないポリシーが醸成され、そして個々で醸成されるために当然に齟齬が生じる、というのは、恋リア研究のひとつの目標であるところの「リアリティとはそもそも何か?」につながる興味深いものに思える。またこのポリシーは、前述のように『テラスハウス』がスタジオ・視聴者の多層的フィードバックを持つため、外から規定されさらに流動していくかもしれない。
(ところで「ルール」がある恋リアも、それは必ずルールブレイクがセットになっているという点も興味深い。例えば『真冬のオオカミくんには騙されない♡』の「運命のトランプ事件」は、トランプで引いたペアの結果を一人がどうしても受け入れられず、最終的に話し合いで決まってしまうというルールブレイクだ。リアリティという荒野だった場所になぜか人工的なポリシーが発生し、一方で人工的な恋リア空間のルールはしばしば破壊される)

まとめ

 『テラスハウス』は、箱庭の住人がそれが箱庭であること/多層的な世界が存在することに自覚的であり、自由であるように見える世界に、実際は人工的なルールが作られ埋め込まれていることに気づきながら自由を演じている、そういうタイプの、ライトノベル……?


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