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「好きになろう」を妨げず、良さを伝える翻訳と橋渡し

私は良いものを良いというときの熱量が熱すぎると思われているふしがあります。しらんけど。

例えばマザーハウス副社長の山崎大祐さんが主催する経営ゼミ(通称:山ゼミ)のこと。

ちなみにこの記事を読んで、エントリーしてきてくれる人が毎期いるので本当に嬉しい。ありがとうございます!🙏🙏🙏

大学院入学を目指したときもそうだったけど、感情だけで物事を動かさない、ということを常に心がけています。事実があって、その事実に乗せるものが感情であって、感情が独り歩きしてもそこにエビデンスがなければただの自己満足なんだよなぁ、ということを思っています。

それは自分の家族経験が結構影響していると思うし、実際に大学院も研究室も、私にフィットしていました。(この辺のこともいつか書こうかな)

大学院のフィット感は、自分が背伸びしても届かない学習レベルの高さ、事実に対して容赦なく議論でき、それを個人と事実をしっかり切り離せる環境、それでいて個人が尊重される心理的安全性が影響していたと思っています。

そういう場が大学院を出てなかなかないなーと思っていたところに、そういう文化性に近い学習コミュニティだったのが山ゼミだったんですよね。山崎さんの考え方にすごく近い文化性を感じていました。実際に1期の説明会に行くときに、なぜ「ゼミ」なのか、という話を聞いても合うなと思ったのでエントリーしました。

で、その後私は山ゼミに参加するといいなと思う人がたくさんいたので、周りにしつこくおすすめしまくっていました。私って多分ふだんそんなに推しについて話さない分、推しが出るとひたすらにプレゼンしたがるんですよね。逆に言うと好きなものやいいなと思うものが偏っているのかもしれません。(笑)

この(偏った)熱量プレゼンを面白がって聞いてくれる人が大半(ありがたい…)なのですが、山ゼミについては若干白い目で見られたりとか「そんなに山崎さんに陶酔しちゃって大丈夫なの?」みたいに言われて、正直悲しい思いをしました。

陶酔していることを話したかったわけじゃないのに、全く良さが伝わってないのだなと思ったし、陶酔しているみたいな見られ方をされたのも悲しかったわけです。そしてなんか誤解されてる感があって、山崎さんにも申し訳ないというか。。

こういう経験って結構心にきます。なんならこの件で私は自分が良いと思うものを薦めることに、ちょっと自信をなくしていました。

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11月最後の日、小林賢太郎さんが、NHKのSWITCHインタビューで、椎名林檎さんと対談をされるとのことで見ていたんです。(ちなみに私は毎年小林賢太郎さんの舞台、最近ならカジャラシリーズのチケットだけが本当に毎年の楽しみになっています)

そしたら小林賢太郎さんの、こんな語りのシーンがでてきました。

僕の思う「評論論」は、知識の豊富な人が、この芸術作品が、こういう方々が気に入ってくれるんじゃないかと思ったり、あるいは気づいてない方がいるかもしれないけど、実はこれにはこういう種類の良さがある、ということを言葉に変えてあげる、通訳のような立場に近いと思う。
そうすると、「あの人はあんなふうに言っていたからぐるぐる見に行ってみよう。あ、ほんとだ。あの一言を聞いておいて、この良さがよりわかりやすくなって、楽しめた。次のこの人の作品も見に行ってみよう」となるのが、一番美しい評論家さんの橋渡しですよ。だから、詳しくて否定的っていうのは何も生み出していない…(中略)好きになろうとしている人の妨げにはなってほしくないって感じですね。
(SWITCHインタビュー 達人達:11月30日放送より文字起こししました)

文字に起こすと、あの優しい語りの温度感とトークの文脈と切り離されないかとびくびくしているので、ここだけを切り取られないことを祈りつつ。

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番組を見ながら、「これからも良いものを良い」と伝えていこうとシンプルに思えました。

一方で、私は去年のことを振り返りながら、相手の受けやすい形の翻訳ができてなかったのかもしれないなーと内省しました。わたしはまだ翻訳も橋渡しも未熟なんだなと。

とはいえ、良いと思えるものを良いと言うことに対して、自分は良いと思わないかもしれないけど、その良いと思う人の状態を否定するのは、結局よい橋渡しをしてくれる人を減らすことになりかねない、とも思うわけです。そうすると良い評論をしてくれる人を減らすことになる。

少なくとも人に良いと言われたものを否定する姿勢にならないよう気をつけよう、と思いましたし、私が良いと思うものを聞くときの姿勢も気をつけようと心改めました。

「好きになろうとしている人の妨げ」をしていないか、気をつけないとなと思います。相手の好きなものプレゼンを聞いて、好きに慣れなかったとしても。

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ちなみに、昨日もちょっと書きましたが、この評論論を受けて書いたのが、乙武さんの義足プロジェクトの話でもありました。

昨日も紹介しましたが、「良いものは良いって伝えてよすぎる!」と思ったタイミングでのYouTube大学での乙武さんプロジェクトだったので、いいタイミングでその思いを発揮できたのは嬉しかったです。これからも良い通訳者でありたい。

そして、レペゼン地球とのコラボ動画。乙武さん、一緒に歌っておるw

レペゼンも良い通訳者だと思う(私は好きですw)。よくわからん若い人たちのYouTuber?と思う人は見てほしいな。

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最後に、評論としての通訳が相手にフィットするには、文化的整合性を考えるべきなのかも?と考えました。

じゃあどうすればいいの?というところはまだ自分の中に答えがないのですが、相手と異なる文化の中に、どうほどよく接点を持つか、という視点で考えるとヒントがありそうな気がしています。

この辺はもう少し整理できたらまた書いてみたいと思います。


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山田小百合
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