マンホールで生きる社会の、絶望と希望

昨夜、ドキュメンタリーフェスティバルで上映されていた、「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」という、NHKで2019年に放映されたドキュメンタリーを観に行ってきました。

2019年にモンゴルに行く機会があり、まだまだ経済発展を続けていく途上国でもあり、一方でソ連崩壊の影響を受け、遊牧民文化という独特な文化が融合された、不思議なバランスの国だなと感じました。

個人的にはこの不思議なバランスで存在するモンゴルという国に強く興味を持ちました。ただ、5月の旅は障害者福祉まわりの視察だったので、モンゴル初心者のわりには違う領域に飛び込んでいったので、モンゴルの国そのものの課題を把握しきれていなかったように思います。


このときに通訳してくれたHishgeさんが、このNHKドキュメンタリー制作において、現地のコーディネーター兼通訳として関わったそうで、このドキュメンタリーの話は聞いていたのですが、放映のタイミングに見ることができていませんでした。

そしたらHishgeさんがこのイベントの案内を送ってくださり、ようやく見ることができました。

実はこのドキュメンタリーは4部作の最終作で、1作目は1998年。そして4作目の今回は2018年に撮影し、2019年の放映なので、20年にかけて追ったドキュメンタリーです。

▼あらすじは動画&NHKのサイトがおすすめ。


1998年の1作目のあと、6年後の2004年、そこから4年後の2008年、最後に、そこから10年後の2018年、と4回にわたり追い、放映されています。

この4作を起承転結というとするなら、今回の作品が「結」になると、プロデューサーの山口さんもおっしゃっていましたが、全体の流れとしてもそういう印象を受けました。

それは、4作目については、初めて見る人のために、過去3作で追った内容も補足的に入れてくれていたような編集だったからなのかなとも思います。とても全体像が理解できる内容でした。

なお、上記に飛ばない人は、下記あらすじをお読みください。
読まない人はすっ飛ばしてね。

あとネタバレあります。

あらすじ

モンゴルは草原、ゲル、というイメージが強いので、マンホールチルドレンと聞いてもピンとこない人もいるかもしれません。

マンホールチルドレンと聞いてイメージのつかない人もいると思うので少し説明をすると、いわゆるモンゴル板ストリートチルドレンというとわかりやすいかもしれません。

冬は−30℃にもなるモンゴルで、家や家族のいないこどもたちは、ストリートではなく、マンホール内で生活をしていました。

マンホールは、暖房のための温水が通る管が通っているので、マンホール内は30℃にもなるような温室になっていました。だからこそ、彼らは寒さを凌ぐために、マンホールで暮らし始めます。

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そもそもマンホールチルドレンが増えた背景には、ソ連崩壊を語らずにはいられません。

社会主義の崩壊を受け、貧富の格差が拡大。貧困家庭が増加したモンゴルでは、こどもたちは出稼ぎ労働者となり、家を離れていくこどもが増えました。社会情勢も不安定のため、マンホールチルドレンの数も正確な数がわからないほどに増加します。

その1人が本作に出てくるボルト。

もう1人のダシャは、母親の再婚相手の義父からの暴力から逃げるためにマンホールにやってきた。そういう親友2人の関係を追っています。

2004年には、ボルトが努力して家を建て、母親と妹を呼び寄せ暮らし始め、同じマンホールで育ったオユナと結婚しました。そして最愛の娘ナッサンが誕生し、まさに「マンホールから脱出できた」という希望ある話で終わります。

ところが、2008年ごろ、オユナとボルトのお母さんがそりがあわなくなり、ボルトは母と娘を家から追い出します。

そしてオユナがナッサンをつれて家をでて、離散状態。ボルトのもとを離れたオユナは、ダシャを頼り、気づけば三角関係状態になり、親友関係にも亀裂がはいりることになります。

すべてを失ったボルトは、またマンホールに戻っていく。
希望から、絶望への転落で、2008年のストーリーは終わります。

このタイミングで

夢も希望もない終わり方だ。
是非、続編を作り彼らが再生して行く姿を見たい。

という反響を多く受けたそうですが、そこから10年たちました。

その背景には、ボルトとダシャが行方不明になっていたという背景があったそうです。

どうやらボルトは、アルコール依存症になり、NPO団体に保護され、数年間依存症施設で過ごし、今はタイヤ修理工場を経営していました。

一報ダシャは、廃品回収の腕を見込まれ区の職員として働き、4人の子供の父親になっていることが明らかになり、そして4部作目が動き始める…

という時系列です。長かったですね。笑

マンホールチルドレンの20年後

絶望の連続の中、30代なったボルトとダシャは、すごく前向きに、ひたむきに努力を重ねて暮らしていました。

母と離れたボルトはもう一度家族と暮らしていて、週末に家に帰り、家族との時間を過ごしていました。

ナッサンはオユナの妹家族と暮らしていて、離れてはいますが、ときどきiPhoneのチャットでやり取りをしたり、お父さんとして何か買ってあげてたりと、20年で失われたものを取り戻していくような尊い時間がありました。

そもそもアルコール依存症になり、施設にいる間、依存症を克服しただけでなく、識字教育を受け、タイヤ修理工として修行をしたり、その他資格をとったりと、努力して前に進んでいて今があることを知り、すごく人間性が素晴らしかったです。

また、ボルトがすごいのは、仕事もあり家族も養う中で、夜はNPOの人たちと一緒に深夜を徘徊するこどもたちへのアウトリーチ活動をしていたこと。

「おじさんも昔はきみたちのようだったんだよ」と、少し待ってから声をかける姿に、さらに胸をうたれました。

それだけでなく、事情をかかえるお母さんたちが預けられる保育園でも、物資を届けたり支援活動をしていたりと、精力的に活動していまいた。

ダシャは4人の子宝に恵まれ、この大家族を養うために奮闘していました。こどもが小学校と保育園に同時入学(入園)のタイミングで、テレビを質屋にだし、日雇いの仕事をしたりして、入学のための資金を調達している姿に、「自分は愛されなかったからこそ、この子達を守り抜く」という強い意志を感じました。

あとすごいのはボルトもダシャにお金貸してたんですよね。あれだけのことがあって強い友情を取り戻していることもすごい。

そして、ダシャも車の免許をとるために、識字教育をうけていました。そこを後押ししているのもボルトだった。

さらにさいご、ダシャが裏切った母親に会いに行くシーンで、「自分はもう立ち直ったから、過去をはもういい」というようなことをいう場面があるのですが、ここまでの環境で生きていくとこう強くなるのだと、勇気をもらいました。

20年、異国で追い続けるということ

経済成長も著しくなったモンゴルは、マンホールも封鎖され、「マンホール」チルドレンもいなくなりました。

犯罪の温床となっていたマンホールはなくなったものの、次の温床は闇ゲームセンターなど、場所は変わっています。格差が決してなくなったわけではありません。

このドキュメンタリーで、モンゴルの恥部を映したと言われてもおかしくなかった中映ってくれた彼ら。

それでも、適切な距離を保ちながら、ずっとしたたかに老い続けたクルーのみなさんのちから。

どれもすごいものだった。だから20年という膨大な歴史を追うことができるんだなと。

20年でのべスタッフは500人関わったそうです。壮大だよね。

ちなみに当初の撮影では、犯罪の温床となっていたマンホールチルドレンの問題があったため、現地の人に「なにかあっても知らないぞ」と言われていたそうで、モンゴル相撲をやるようなSPさんをつけて、マンホールを尋ね回ったそうです。命削ってる。

そのなかで、2018年の取材では初めて、カメラマンにモンゴル人カメラマンが入ったこともあったのか、ボルトもダシャも穏やかにカメラの前に映し出されていたようでした。

ドキュメンタリーの価値は、自分が普段知らないようなセンシティブなテーマに切り込んでくれることで、社会問題を世に知らしめる効果があると思います。

そしてそれは本当に命がけ。お金も時間もかかります。

あらためて、ドキュメンタリーを撮り続ける人たちに尊敬した時間だった。


さいごに

とにかく私は、全体を通して、ボルトもダシャも「許す」という力のある人達だと感じました。

絶望の淵に生き、それはしかも決して自らが選んだわけでなく、ときに周りの人間関係にも振り回されている。

生きるか死ぬかの中で、人に愛情をもらえずにいたなかで、その後彼らが、そういう人たちを許し愛する人になる、その壮絶な過程を見せていただいたように感じました。

生きるとはなにか。

許すとはどういうことか。

愛とは何なのか。

改めて考え、深く内省させられる1日となりました。

とにかく、昨日は終わったあと、なんて言葉にしていいかわからなかった。

なので今こうして文章にしたためているのだけど、これでも足りないくらい。トークセッションでひたすら知るためのメモは何ページにもなった。

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また、かつて学生時代に途上国に行って刺激をうけ、支援活動などをしたいという学生の気持ちがわからなかった。

なぜなら私は国内で、自分の家族を通じて見えた障害者福祉領域に問題関心が強くあったから。なのだけど。その気持が今はすごくわかる。

ご縁ができたモンゴルに、なにかできることがないかを、模索し始めています。さて、なにをしようか。


最後に、声かけてくれたHishgeさん、どうもありがとう!

勇気をもたらしてくれる、尊い時間をつくってくださった、制作に関わられたみなさまに感謝しています。


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山田小百合
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