ふと思い出す人。
いまひまですか
数日前のことだ。突然夜の仕事中にメッセージが届いた。大学を卒業して以来会ってなかった友人が、突然そんな怪しげなことを送ってくるので、
これはすぱむですか?
なんて返してしまった。
友人2人が、大学を卒業して以来の再会をしていて、1人は地方へ転勤しているので、出張で東京に戻ってきているタイミングで飲んでいて、話をしている中でこれは私を呼ばないと、と思ってくれたそうだ。若干嫌がらせなのではと疑ってしまいつつ、本当は嬉しくて、感謝の気持ちで、久しぶりの再会をした。
私の人間関係は、大学院以降知り合った方々の文脈で多くの人と引き続き知り合っていて、もっと頑張らないとと思っている反面、学部時代に知り合った人たちから広がる人間関係はほぼなく、むしろ関係がどんどん疎遠になっていた。
もちろん、毎日自分の仕事のことを考えているので、日程調整が難しい状況にある事が多いという現実的な事情もあるが、前に大学の友人は「もう何をやっているのかよくわからない」とぽつりと言われ、喉に魚のほねが引っかかったような、居心地の悪い気持ちを引きずっていた。
幸い私は、基本的に「よくわからない」ことを包摂してもらっていると思う反面、せっかくかつて出会った人に、「よくわからない」向こう側の人だとも思われているのだろうと思い、そこに見えない厚い境界が感じられ、その境界について、私は何かを引きずる気持ちを持ちながら、少々のあきらめを持っていた。別にそれは私個人の特別な経験でもないし、そうやって人間関係が変わっていくことはだれにでもあることで、悩み耽るほど気にしたこともなかった。
この、これまでの表記が、正しく今の私を表現しているかどうかも、甚だわからないところがあるけれど、そうしたなかで、友人たちが呼び出してくれたことが心から嬉しくて、短い時間だったけど、懐かしい話ができて楽しかったし、心から感謝をしていて、その気持ちをどうやって表していいのかわからず、久しぶりに文章を書いている。
誰しも人間関係は変化していく。自分も変わっていく。考えることも変わっていく。そうした中、もう疎遠になった人へ連絡をとることは難しい。遠慮してしまう。むしろ意識化されなくなる。でも、久しぶりに連絡をもらえることって、すごく嬉しいことだ。気軽に連絡しようと思ってもらえることは、嬉しい。
突然のスパムのような連絡は、こんな自分を5年前と変わらずに接してくれる人たちとの楽しい再会を果たした、というただそれだけだ。そんなこと誰にだってある。誰にだってある経験だよなぁと思いながら、こういう時間や関係が、明日に生かしてくれるんだな、なんて思いながら帰った。自分から何かがなくなっても、気軽に連絡していいかな、なんて思える関係が、少々見えているだけで、もう少し自信をもって生きていけるような気がした。自分が変わっていくこと、他人が変わっていくこと、でも変わらないことというものを、丁寧に認識し、大切にして、うまく生きていきたい。
ちなみに、そういう「流れ」というのはあるのか、今月は大学のときの友人たちとも約束をしている。それも、突然のお誘いだった。中には卒業ぶりの友人もいる。すごく楽しみである。わたしも、思い立ったらふと連絡をとろうと思ったし、ふと受ける連絡を大切にしたい。(ただし会う場合は日時さえタイミングが合うことを祈るばかりである。)
話を戻す。先日の再会の中で、大学生の頃、まだまだ青かった、若気の至りだったことがたくさんあったことを思い出し、会話を紡ぐ中で、忘れかけていた様々なくだらないエピソードが、じわじわと改めて生まれてきて、嗚呼、大人になったんだなぁって、ちょっぴり感傷的になった。過去の思い出と、人との出会いと会話を、忘れないように生きたいと思って今まで生きてきたのに、忘れかけている自分を、ちょっぴり責めたりしながら。
久しぶりの再会で、私はふと黒ビールが飲みたくなった。久しぶりの味が美味しくて、懐かしい気持ちになった。
おわり。