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絶望からくる怒りに、寄り添うことはできるのか。

2020年に向けたオリパラ旋風は相変わらず勢いがよく
インクルーシブだ、ダイバーシティだとみんな楽しそうに言ってる。

先日には文化プログラムの概要が発表されて、パラリンピックのほうは「共生社会の実現」をテーマに、小橋賢児さんがクリエイティブディレクターを務めるとのこと。小橋さんか…これはすごい楽しみ。(オリンピックの文化プログラムって何よ、みたいな話はまたいつか)

新年度は、いろんな方の異動、昇格などのご報告が舞い、
あと1ヶ月後にやってくる「令和」フィーバーで幸せな1日になった。

私も嬉しい気持ちで新年度を迎えました。みなさんお元気でしょうか。

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私は障害の有無を越えて、ともに価値を生み出す環境づくりをするCollable(コラブル)というNPO法人の代表をしています。

小さなNPO法人ですが、それでもとうとう7期目に入りました。

6年前、24歳で、「何をするか」を決めずに、目指すビジョンだけを決めて立ち上げ、6年間色んな経験をさせていただきました。

言うならば、「インクルーシブな場づくり屋」として、プロジェクト、イベント、商品開発、教育現場、などなどたくさんのご縁をいただきました。

場作りの考え方として用いる私たちの武器「インクルーシブデザイン」も、地味に多様な機会をコツコツといただき、創業当初は「何それ??」と相手にされなかった時代が懐かしい。今やインクルーシブデザインと言えば言葉だけでおおよそ理解してもらえるようになりました。

昨年は、長年ご一緒した、こどもワークショップの老舗であるCAMP(株式会社SCSKさんのCSR活動)さんとつくったワークショップが、キッズデザイン賞を受賞した嬉しいニュースもあり、気づけば企業、学校、自治体など、いろんなところでワークショップ、インクルーシブデザインの機会をいただきました。

だんだん、挑戦させていただく環境のレベルはあがり、出会う課題の重さも深くなっていく。
気づけば数が積み上がっている。そんな6年間だったなと感じています。

こう書いてみると、なんだか楽しそうで、美しそうで、理想的に見えるかも知れません。

しかしながら、どれだけ実績がふえたところで、実態は社会のたった0.000001%くらいの取り組みでしかないのだな、と思っています。

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そう改めて認識させられた出来事は、昨年度、あるまちでのプログラムのことでした。

地域の課題解決を探るプログラムの中で出会った、町で障害のあるこどもたちの支援者として関わる方が、あまりに「どぎつい」態度であることを知りました。

詳しくは書けませんが、

当事者家族がいかに辛いか

町の中で孤独になって行き場がないか

支援を受けるなんて何事だと親族や近しい人い思われる

そういうふうに偏見をうけたり虐げられている人たちとたくさん出会っているからか、その方は、「なにか力になりたい」と願う若者を、無視するどころか潰しにかかるようにつっかかります。門前払いとも言えるかもしれません。

その言葉遣いは差別的だ、信用ならない。あんたたちに気持ちがわかるわけはない。

私は直接話を聞けませんでしたが、状況を聞けば聞くほど、「無知だけどなにか力になりたいと思ったのに、出合い頭に刺される」みたいな状態だったのだな‥と愕然としました。

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知的障害と自閉症を併せ持つ兄と弟との間で育った私にとって、家族が地域で暮らしやすいか、ということは大きなテーマの1つです。

「周りの"家族"と同じことができない」ならまだしも、外に出れば嫌な目に会う。

周りの障害のある子たちも同じ目にあっていることを目撃する。

そんな経験は、私の思春期の心をそれなりにえぐりました。

一方で、小さいときに、母たちが障害児向けサマースクールの活動を始めた1996年は、夏休みや放課後に、彼らの行き場は地域にありませんでした。

あの頃は親同士が力を合わせて活動をつくり、ボランティアが必要なら市内の高校を周り、校長先生に直接ボランティア募集のお願いに回っていました。

20年前、それでも立ち上がって行動した、母やその友人たちの行動力には尊敬の思いばかり。だけど、母たちが20年前に直面した差別的、偏見との間に生きる状況は、平成が終わろうとしている今も、地域によっては残っている、という事実を、そのときすごく思い出しました。

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あれから約20年たった今、様々な保護者や支援団体の努力によって、障害のある子たちの放課後や夏休みは、「放課後等デイサービス」という、そうした子たちの学童のような受け皿ができている。もはやこども奪い合い時代になりました。

インクルーシブという言葉が様々な領域で使われ、2020効果もあってか、色んな人たちが活躍するための下地もできつつある。

一方で20年前の思い出話をふと思い出しながら、今、目の前で知った、あるまちでの出来事は、「このまちには障害のある子どもやその家族の居場所がない」と言わんばかりの深刻な状況が、その時垣間見えました。

このまちでは拠り所がない、療育センターに行けば差別的に見られる、まちで連れて行く場所がない…

そしてその孤独は、支援者の激しい怒りになり、当事者は不安を募らせる。

あれ、20年前と何ら変わってなくない?

そんな疑問が私の頭から離れず、そうした事実に半ば愕然とした年度末でした。

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あの方の怒りは正直「厄介」だと思いました。こうしたアテもない怒りが、純粋に人の力になりたい人たちには正直きつい。こうしてさらなる「共感者」が減っていく場面を、私もそれなりの経験の中で見てきた。きっと「めんどくさ」って思った人もいるんじゃないかと思う。

一方で、あれから振り返って、あの方の怒り、とても理解できると思ったのも事実です。

怒りがありながら、少しの希望を見出そうと、このプログラムに協力しようとしているその方のことを思うと、言葉が出てこなかった。


人の怒りに触れるのは嫌だ、面倒だし。

そして怒りは人の共感を生みにくい。賢い人達はそうして感情をコントロールし、その考えは本当に多くのところで出回っていて、私もその考え方は大事だとも思っているし、「怒り」ってダサいよね、という風潮すらある。

でも、その場所で拠り所がないのだとしたら、危機感があるとしたら、不安の水が溢れてきたら…怒ってもいいよ、とも思う。

怒りが重要なのではなく、その怒りの裏側にあるのは悲しみ、そして絶望だということだ。


とはいえ、怒ってばかりでは変わらない。怒りの原点にある何かを変えたいと思うなら、いろんな事情をある意味飲み込み、状況を鳥の目で把握しながら、様々な人の立場を理解しながら、立ちふるまい、最適解を一緒につくっていく…

そうして怒りと悲しみと共存しながら、誰かを信じるしかない。

インクルーシブデザインの普及を通して、多様な人達との関係づくりに、実践研究的に取り組んできた私たちに必要なのは、これからも怒りには出会うという事実と、それでもその怒りを許容しながら、対峙し続ける強さだとおもった。

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私たちの創業期の裏側には、当事者からの厳しい声をもらったこともあるし、家族として経験した辛かったことも思い出している。

でも、私たちの創業期、そして私の過去の家族経験にも、やっぱり怒りはあった。私だって一度怒ってみたこともあった。

でもそれじゃだめだと気づいて、考えて動いて来た。

家族経験もふくめたら、私のキャリアはかなりの年数になる。

だったら、その怒りに寄り添い、向き合おうとしている人たちの拠り所になるのが、わたしたちのやるべきことなんだと思う。母たちのある意味の「ソーシャルなマイプロ」を立ち上げるプロセスも、あの方々のお役に立ったら良いなと願う。


怒りを許容する余裕なんて、現代人にはないのかもしれない。

だけど、怒りというエネルギーの裏側には、20年も変わっていない、生きづらさがあることを、忘れてはいけない。

そして、私たちだけの力では到底支えきれない。苦しいけれど、そうした気持ちに少しでも寄り添う人を増やしたい。寄り添う方法はわからないけど、寄り添ってみようとすることはできる。それに必要なのはすこしの強さだと思う。

2019年度は、この怒りを忘れないで、でも、前向きな活動に変えていくことを忘れないようにしたいと思います。

ああ、今年はもう少ししたたかにならないと、と思うばかりの4月です。

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山田小百合
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