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ミュージアムを乗り越える

かつて、私はミュージアムがとっても苦手だった。正しくは、高校生時代までは、むしろ苦手とも思うほどの関心すらなかった。当時大分県にはOPAMほどの立派な美術館なんてなかったし、実家の周りにも自転車で行ける距離にもなければ、駅も近くないし電車は高い。家族に県外のところに連れて行ってもらう機会もなかった。中学生のころ、美術の先生が授業で「美術というものは、見えないものが見えてくるんです」という名言は、学年で伝説となった、もちろん、意味不明という意味で。

大分生活の間、博物館にはいくつか行ったことがあるが、全然楽しみ方がわからなかったし、美術館とやらに初めて自ら足を運んだのは大学生になってからだ。おかげさまで楽しみ方が全くわからなかった。大学生になって東京での同世代が「XXの○○展に行きたいんだよね」と言う発言をしているのをみて、内心ヒヤヒヤだったのは私だけじゃないと信じたい。これが教養格差か!と内心ビクビクしていた18歳の頃。それでも都会へのあこがれもあり足を運ぶようにはなったが、追い打ちをかけるように、大学院生になったらエンタメに詳しすぎる同期に囲まれ、ますますこの分野で自己主張はするまい…と思った。

「アート」の楽しさを知ったのは、大学院に進学して以降だった。周りでミュージアムに関する研究をしている人もいたのも影響したのもあってか、アートへの壁はなくなっていったが、なかでも特に印象的だったのが、安斎利洋さんと中村理恵子さんの授業だった。あの授業はとにかく自由だった。5限の時間帯に、自分の顔の切り絵を、しかも目隠しして切らされたり、地球外生命体「ぬ」で遊んだり(説明放棄;2016/05/09追記→「ぬ」とかいたつもりが「め」になっていて、「ぬ」に惑わされていた笑。ちなみに、当時のことをこの記事を書いた後に振り返ったのだけど、「ぬ」はRememeになったんだったよなぁということも思い出していました。書いてて多くの人には謎だと思うので詳しくはこちらを。わたしは2011年受講生)、なぜか杖道の先端に光をつけて、光の軌跡を写真におさめたりして、とにかく謎だった。でも、これがめちゃくちゃ楽しかった。私とアートの関係性が変わったのは、明らかのあの授業だったと思っている。あの2人の振る舞いこそ優しく、とにかく居心地がよかった。「ありのままでいい」を体で学習したと思っている。

利洋さんには、発達障害の子が利洋さんのワークショップに参加した時に面白かった現象も教えてくれた。人と関わらないようにワークショップにいたその子が、ある瞬間に人と自らつながろうとしたエピソード。自分の研究の可能性が少し見えた瞬間でもあった。結果的よい修士論文が研究になったかわからないけど、あの時の経験を、今でも咀嚼し内省しながら、Collableの活動に生かしている。前には、利洋さんの夢日記にも登場させてくれて、とっても嬉しかった。とにかく、利洋さんと理恵子さんには一方的に感謝と尊敬を寄せている。

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16年度、私はこれまでの活動をすべて「五感ミュージアム(仮称)」と呼ぶことに決めた。

私が挑戦したいことは、多様性が深くておもしろいと思える体験を多くの人と共有することだ。そして大学院生の頃に「ワークショップ」という形でそれらを体現するエキスパートが多いことを知った。ものにもよるが、ワークショップは「ありのままでいい」ということを体で考えてもらう瞬間でもある。振り返ってみるとそれは同時に、人間が生きるということを哲学的に考えたり、自分の体験を解釈したり咀嚼したり、新しい視点を得る経験でもある。だからこそ苦しい側面もあるのかもしれない。それがまたおもしろい。

そうやって自ら得た刺激をそれぞれの体に染み込ませていく様々な現象・変化を「学習」と私は呼ぶが、そうした現象は、ミュージアムでの人の学びに似ていることに気づいたので、「ミュージアム」を作ることにした。ハコのないミュージアムとして、多様性を様々なかたちで編んでいきながら、Diversity Fun! づくりをマチ単位で進めていく取り組みの総称である。

この五感ミュージアムという総称が生まれた時、同時に大学院時代の利洋さんと理恵子さんの授業を思い出した。そんな頃、「安斎利洋還暦慰労会」という場にお招きしていただいた。先々月末のことである。還暦と聞いて、私の父とさほどかわらない年齢であることを知る。年度末の荒れた日々を駆け抜けている途中、小さな優しい会に呼んでもらい、その古民家に向かった。「何者かでもなくてよい瞬間」を楽しみながら、何故か古民家特集で取材に来てたNHKの人に「古民家でのパーティーが外食と何が違うのか」とかいう質問を投げかけられながら、「ここに来ている人にそれを聞いてもあまりメディア的に欲しいコメントはもらえないだろう」と考えていた。(結果、こんなコーナーになっていた)

美味しい手料理とお酒と、素敵な記念品贈呈と、利洋さんのちゃんちゃんこ。どれもこれもゆるく優しい時間だった。(▼田村真菜ちゃん撮影のお写真拝借しました。まなちゃんが猪肉でつくる水餃子を準備してくれて、途中一緒に作らせてもらった。とても美味しかった。)

集まっていた人たちの活躍は眩しかったり変わっていたりして、この数年ただただ地味だった私は、自分がこの場にいていいのだろうかと思っていたのだけど、そんなこと一瞬にして吹き飛ぶくらい、理恵子さんが励ましてくれた。

将来、こういう場と、それを紡ぐ人を、もっと作りたいと思ったんだっけか、と思いだした。嬉しい年度末の締めだった。

利洋さん、還暦おめでとうございます。みなさん、素敵な時間をありがとうございました。(久しぶりだった理恵子さんとずいぶん話し込んでいたので、利洋さんとあまり話ができなかったけど!)


様々な言葉を自分に言い聞かせて、2016年度が始まりました。5月1日は、Collableの創立記念日です。5月になって、やっと自分の生活が少し落ち着き、各所にご挨拶できなかった人に、少しずつ届けている真っ最中。そしてやっと、5月になって、「新年度だ」と感じられるようになりました。2016年度のスタートを切るにあたって、2015年度を締めくくったタイミングで参加させてもらった「安斎利洋還暦慰労会」が、本当に優しい場だったので、これを2016年度の最初の記録にしておきたいと思います。

ミュージアムの苦手意識に始まり、「見えないものが見えてくる」がただの心霊現象だと思っていた私が、ミュージアムという言葉を使って、これまでの活動を整理整頓し始めたのは、ちょっとした事件(?)だなと思っています。既存のありかた、わたし自身の固定観念を乗り越える挑戦をすべく、今年は変革の1年として、地上に這い上がってゆきたいと思っています。

あと、今年度こそ、「ちゃんと書く」を目標に、がんばらないようにがんばりたいと思います。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

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山田小百合
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