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取捨選択 │ 「好き」に満たされる

自分の部屋が1番好き。
極上の癒やしを与えてくれるから。

本が好き、映画が好き、アニメが好き、音楽が好き、珈琲が好き、紅茶が好き、お酒が好き、服が好き、アクセサリーが好き、香水が好き、花が好き……

挙げるとキリがないくらい、私には好きなものがある。
好きなものは手の届く場所に、目に留まる場所に置いておきたい。

でも、全部なくしてしまったことがある。


手放す罪悪感

物欲が我慢できず、ほしいと思ったら衝動的に買ってしまう。
だからいつも部屋は物で溢れていて、それこそが幸せだった。

だけど、そんな私を変えたのが「上京」。

社会人になってすぐのころは田舎で18帖の部屋に住んでいた。
小屋まであるのに家賃は3万円台。
そんな広々とした部屋に住み慣れていた私にとって、東京はとても窮屈で、何かを諦め、何かを捨てなければならない街だった。

捨てることは苦行だった。
量が多くて大変、というだけではない。
買ったとき、もらったときの思い出が次々よみがえってきて、手放すことで思い出や私に向けてくれた心遣いまで捨ててしまうような罪悪感でいっぱいだったから。

何日悩んでも手放せなかった宝物だけ実家に置かせてもらい、残りは泣く泣く処分して、初めて東京で住んだ家は6帖の1Rだった。
クローゼットすらなくて、とても息苦しくて、牢獄に閉じ込められているような気持ちで3年間を過ごした。

都会に慣れていたのなら同じ家賃でもっと広い部屋を見つけることができたのかもしれない。
でも、電車はJRしか存在しないと思っていて、山手線しか知らなかった当時の私が毎日無事に会社にたどり着くためには選択肢がほとんどなかった。

捨てるものを探す

狭い部屋に慣れることはなかった。
物がないと部屋にホコリが出ないんだ、なんて新しい発見はあった。

せっかく憧れていた東京にいるのに、オシャレで素敵な雑貨も、好きな作品のグッズも、「置く場所がない」という理由で遠ざかるようになった。

このころは、家にいるのが苦痛だった。
仕事と勉強以外にやることがないから。
PCで映画やアニメを見ることはできたけれど、夢中になるほど関連するグッズが欲しくなるから虚しいだけ。
会社の方が居心地がいい、なんて思うほど。

自然と趣味は飲み会になって、生活が荒れて、そうなるといかに効率的に暮らすかを考えるようになって、断捨離にのめり込んでいった。

以前は物を手放すことに罪悪感でいっぱいだったのに、いつしかゴミ袋がいっぱいになるのが楽しくて、捨てるものがないか家中を見渡すのが癖になっていた。

たぶん、ゴミ袋と一緒に心も捨ててしまったんだと思う。

大切を見極める

部屋の狭さにいつも通り嫌気がさしていたある真夜中。
物音で目を覚ますとベランダに人影が見えた。
恐怖で硬直するしかできなくて、ただその人影がなくなるまで息を潜めていた。

眠れないまま迎えた朝。
会社でその出来事を話すと、一刻も早く引越すよう強く勧められて、すぐに不動産屋に足を運んだ。

3年も経つとだいぶ東京にも慣れて、選択肢が広がった。
貯金とお給料が増えたこともあって、理想的な立地のオシャレで少し広めのマンションにすぐに引越すことができた。

引越し直後はベッドとデスクくらいしかない殺風景な部屋。
本棚のひとつくらいあっても邪魔にはならないな。
実家から特に好きだった本を数冊送り返してもらおう。
本棚があるのならいくつかインテリア雑貨も並べたいな。
……って、少しずつなくした気持ちを取り戻していった。

一気にたくさん物を増やすことには抵抗があったけれど、それでもひとつ、またひとつと、厳選された「好き」を集めていくうちに心が満たされて、ショッピングも家で過ごす時間もいつしか楽しみになっていた。

見極め、考え、悩み、本当に好きなものだけを手に取る。
そんな選び抜かれた物だけに囲まれるのは格別に幸せだった。

生きたい場所、送りたい生活

東京での生活はとても満たされていた。
たくさんの出会い、たくさんの学び、たくさんの挑戦があって、私の人生にとってかけがえのないものだった。

東京で人生を終えるんだって、当時は本気で思っていた。

東京は好き。でもそれは1番?
ふと、そう考えたとき、生まれ故郷である函館がパッと頭に浮かんだ。

そこからはあっという間だった。
ありがたいことに、上司、先輩、友人、取引先の方々みんなが私の力になってくれて、最高の条件で函館に送り出してもらった。

今、私は生きたい場所で、私らしいと思える生活を送っている。

節操がない本棚と言われてしまうかもしれないけれど、私にとっては本当に大切で大好きなものだけに囲まれた癒やしの場所。

いつまでも好きなものは手の届く場所に、目に留まる場所に置いておきたい。

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