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エッセイ │ 今日も明日も、明後日も。

いつからか、習慣になっていることがある。

忙しない毎日のなかでほんの数分間、空っぽになる時間。

チチチチ……とガスコンロのつまみをまわしてボッと青い炎を灯す。
何をするでもなく、ただヤカンのお湯が沸くのを眺めて待つだけ。
ポコ、ポコ……と小さな音を鳴らしはじめるとその時間が残りわずかとなった合図。
次第に音の間隔は狭まり、ボコボコボコという激しい音とシューっと吹き出す蒸気が終わりを告げる。

カチッとコンロの火を消して、珈琲と紅茶のどっちにしようかな、やっぱり今日はカフェオレの気分かも、なんてようやく思考をめぐらせる。
お湯が沸くまでの間に決めて、カップの準備をしておく方が効率的だというのはわかっている。
でも、この数分間が穏やかな日々を過ごすための大切な時間。

 

数年前にノルウェーで爆発的にヒットした「スローテレビ」という番組がある。
車窓から広がる風景や薪が燃える様子だけを何時間も放映するなど、ひとつの題材に絞った映像を長時間かけてゆるく届けるという前代未聞の番組だ。
放送回によってはノルウェー国民の約半数が視聴していたのだとか。
ヒットした理由はさまざま挙げられていたけれど、この情報過多の現代、頭と心を休ませるための空っぽになる時間が求められていたのだと思う。
そして、私の習慣もきっとそういうこと。

 

――頑張ろう。

――明日はきっと上手くいく。

――どうしてわかってくれないんだろう。

――今日の自分はだめだった。

――もう嫌だ。

楽しく笑顔で過ごせる日ばかりじゃない。
後悔もするし、反省もするし、怒りもするし、耐えられず泣いてしまう日だってある。
でも、どんな今日を過ごしても明日は必ずやってくる。
世界も時間も止まることなく進んでゆくから、自分だけが長く立ち止まっていることはできなくて、無理やりにでも頭と心のスイッチを切り替えなければならないときがある。

ずっとその切り替えができなかった。
感情に任せてたくさん困らせて、たくさん傷つけて、そんな自分が嫌いだった。
頑張ろうと思うほどに気持ちばかりが先走って、失敗するほどに焦って周りが見えなくなって、寄り添ってくれる人の言葉も素直に聞けなくて、世の中のすべての人が敵に見えて、自分の居場所も価値もなにもかも見失って、消えてしまいたいなんて思った夜もあった。

できるか、できないか。
やるか、やらないか。

追い詰められてゆくほどに思考は極端になる。

だけど、どんな人だってずっと重い荷物は抱えていられないから、時々下ろしたっていい。
もう一度持ち直して、またそこから運べばいい。
毎日食事をとるように、歯を磨くように、お風呂に入るように、眠りにつくように、重たいものを一度置いて空っぽになってしまえばいい。

ポコ、ポコ……という小さな音が、心を少しずつ軽くしてくれる。
そして、カチッとコンロの火を消す瞬間が「よしっ!」と心のスイッチを切り替えるタイミング。

今日も明日も、明後日も。
私はお湯が沸くまでの数分間を待ち続ける。

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