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無駄を選ぶ │ 眠りについてのあれこれ

私は眠るのがとても下手。
6~8時間が人間にとって最適な睡眠時間らしい。
米国での調査によると7時間睡眠の人が最も死亡率が低く長寿なのだとか。

日本人の睡眠時間が短いことは有名だけれど、私の睡眠時間はその半分。
なにか心配事があって眠れないわけじゃない。
「もったいない」その感覚がいつまでもなくならない。

そんな私がたどり着いた「無駄を選ぶ」ということ。


ショートスリーパーへの憧れ

きみがひるねしてる間も、時間は流れつづけている。
一秒もまってはくれない。
そして流れさった時間は二度とかえってこないんだ!!
かりに一日三時間 時間をむだにしたとして、月に九十時間、年に千八十時間。十年なら一万時間以上。
こうしてむだに流れていったんだよ。

てんとう虫コミックス『ドラえもん』第34巻より

未来から来たネコ型ロボットの言葉。
これを読んだ高校生のころまで私はとにかく時間さえあれば寝る子だった。
でも、この言葉で気づいた。
普通の人でも人生の3分の1を眠って過ごしている。私は人生の半分近くを眠って過ごしているかもしれない……と。

同じころ「ショートスリーパー」という人たちが存在することを知った。
睡眠時間が6時間未満でも眠気や疲労を感じなくて健康でいられる人。

体質だからなろうと思ってなれるものではない。
でも、高校生だった私はショートスリーパーになろうと思った。

「寝ない」から「眠くない」、そして「眠れない」

何事もやると決めたら極端な私。
1日の睡眠時間を3時間まで減らし、浮いた時間を趣味に費やすことに決めた。

朝起きられず母に叱られたのも、授業中に居眠りして先生に叱られたのも最初だけ。
私専用のノートパソコンを購入してもらって夜な夜な創作活動に勤しむようになったことが寝ない生活を可能にしてくれた。

「身体に悪い」「頭が働かなくなる」
勉強にも部活にも全く支障がないからそんな言葉は耳に入らなくて、自由な時間とそれによってできることが増えた喜びに満ちていた。

社会人になってからも変わらなくて、残業や休日出勤をこなしながら学校に通って資格を取得したり、本業以外の仕事をはじめたり、小説や絵を描いたり、サークル活動に参加したり、飲み会で人脈を広げたり、睡眠と引き換えに得たものがたくさんあった。

「3時間寝れば大丈夫」
これが私の口癖だった。そして呪いになった。
人よりもたくさんの時間をかけて努力した。経験もした。
ほしい、やりたい、なりたい、それがどんどん叶って、プライドが私を塗り固めて、私が私であるためには眠ることは許されないと思うようになった。

人よりは体力があったのかもしれないし、少し睡眠が短めでも大丈夫な体質だったのかもしれない。
それでも極端に足りない睡眠は、あと一歩踏み出していたら今この世に存在していなかった、というところまで私の心と身体を蝕んでいた。

突然訪れた限界と自分の行動が怖かった。
でも、そのときにはすでに眠り方を忘れてしまっていた。

無駄を選ぶということ

「休日はなにをしているの?」に対して「ぼーっとしている」とか「なにもしない」とか、「趣味はなに?」に対して「特にない」という答えが意外にも多くて驚いた。

5分あったら掃除をするし、15分あったら本を開くし、30分あったらアニメを見るし、1時間あったらカラオケに行くし、2時間あったら映画を見るし、3時間あったら1件仕事を終わらせる。
それよりも長い時間があったら誰かと一緒に過ごすか遠出しようという気持ちになる。

食事やお風呂中でさえなにか情報に触れているし、1分1秒でさえ惜しいと歩くのもとにかく速い。

脳も身体も常に活性化しているこの状態で眠れるはずがない。
そう気づいたのはほんの数か月前。

朝起きてコーヒーを飲むとき、スマートフォンと本を手放してみた。
昼休みにニュースサイトを見るのをやめてみた。
湯船に浸かりながら映画を観るのをやめてみた。
布団に入ってSNSを開くのをやめてみた。

好きなことをやめたわけじゃない。
本を読む、映画を観る、執筆、絵を描く、情報を収集する、その時間はしっかり取る。
何気ない瞬間になにもしないという「無駄を選ぶ」ようになっただけ。

ルーティンに大きな変化はない。
でも……
不思議とアイディアがわいてくる。
遠回りしたり、少し外を歩きたくなる。
そして、自然と眠くなってくる。

長年の習慣はそう簡単に変えられなくて、3時間くらいで一度起きてしまうし、今日みたいに夜更かししてなにか書き綴りたい日もあるけれど、この記事を公開したらパソコンとスマートフォンから離れて眠くなるのをぼーっと待とうと思う。

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