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ドラマ「弟の夫」を地上波放送で見た

もう6月が始まったが、今年のゴールデンウィークのうち半日をNHKドラマ「弟の夫」の再放送を見て過ごした。1話だけ見ようと思ったら3話連続で放送されてしまい、見るのを止められなかった。田亀源五郎による同名の原作マンガは、同僚が勧めてくれて第1巻だけ読んだことがあった。ドラマ化のニュースを聞いてキャストがイメージそのままだったので、一度見てみたいと思ってはいたのだが。

「弟の夫」マイクを演じる把瑠都は元力士で、引退後はオフィス北野所属のタレントとして5月まで活動していた。全面的にひらがなのツイートやブログでも有名だが、それを単なる芸風と思わせない人柄あっての人気だろう。今後は故郷のエストニアで国会議員を目指すとのこと。でんしりっこくでゆうめいな国ですよね気になる。一方、小学生の娘を育てるシングルファザーの弥一を演じる佐藤隆太は、何かに困惑させられてるキャラクターにぴったりというイメージがある。父娘2人の生活は、弥一の双子の弟の夫(…これ以上の説明はむり)であるマイクがカナダから訪れることで波乱を含むことになる。

人物や舞台設定は特殊と言えるものの、キャラクターの感情の動きは読者が共感しやすくシンプルに描かれており、ドラマにもその視点が引き継がれている。ドラマでは特に、社会問題を提起しようという意図を強く感じる演出があった(カミングアウトの場面など)。漫画は途中までしか読んでないため、原作とドラマの違いについてはここでは省略したい。

主人公たちは、突然の出会いとともに、さまざまな壁に直面する。言語、恋愛対象の違い、そして社会のステレオタイプといった壁。時間と空間を共有し、互いを知ることによって壁は瓦解していく。その過程はとりもなおさず、同じ人間の1人としていないこの世界での、私たちの学習や振る舞いである。

この段落は個人的な話なので読み飛ばして構わないのだけど、私は正直、LGBTの問題にとりわけ関心があるとか自分事だと捉えているわけではない。しかし、隣の人は自分と違うかもしれないことを常に想定に入れて生きる必要が、全人類にあると考えている。本作を観てそのことに気付いた。発端はたぶん、幼い頃、周りの友達と違ってお弁当にアンパンマンポテトを入れてもらえなかったこと。クラスでひとりだけ、小学校指定の絵の具セットを買ってもらえなかったこと。うちの家庭がそれらを買えないほど生活に窮していたわけではない。たぶん親が目にしたくないからという理由で、キャラクター商品は肌着から自転車まで却下だった。絵の具は「もう持ってるのに買う必要ないでしょ」とあり合わせでセットを作って持たされた。親がよその家と違う価値観でいることがコンプレックスだったし、友達にはそのために自分を特別扱いしないでほしいと切に願いながら生きていた。あるいはその自分をどう提示していくかにわりと常に悩まされていた。家族旅行は親の趣味で山スキーだったし、流れている音楽はJPOPじゃなくフォルクローレだった。いま振り返ればだけど、だからって私が不幸な子供時代を過ごしたわけではなく、多かれ少なかれそういう経験って誰しもあるし、むしろ自分の考えを尊重されて生きてこられたと思っている。子ども扱いされずにブリコラージュ精神多めの親に育てられただけ、ただちょっと説明が面倒だっただけ。8歳の自分に怒られるかも。

私の苦労の原因だった「人との違い」を希望的にとらえるエピソードが劇中にある。誰かを人に紹介する方法を、小学生の夏菜ちゃんが学ぶ場面。特別な存在だと思っているマイクを小学校の同級生に紹介したいと、友達2人を自宅に連れてくる。それぞれを引き合わせて名前を言って、沈黙。同じことは大人でもよくあるように思うが、その沈黙の間に夏菜ちゃんは父親のところに走っていき紹介ってどうやるのと訊ねる。父親はそれぞれを引き合わせればいいとだけ答える(台詞はうろ覚えです)。それはもうやったのと泣きそうになる夏菜ちゃん。すると紹介された3人の話し声が聞こえてくる。会話は自然に始まる。糸口は本人が勝手に見つけられる。属性が違うと思える人間どうしでも、目の前にいて空間を共有すれば人間は勝手にシンパシーを探し出す。まして共通の知人の紹介であれば簡単なことだ。多様性を言葉で説明するより、小学生ぐらいの年齢で全員にこの安心感を体験させるべきなんじゃないか。

テレビ・映画・アニメ業界では、マンガを原作とする作品の増加が顕著だ。そのことによる弊害もあるのだろうが、すぐれたマンガの世界を社会に広く伝えるためには、すぐれた映像化やマルチメディア化は非常に有効だと感じさせられた。原作では小学生特有の素直さを印象づける夏菜ちゃん。忠実に演じる子役の根本真陽の器用さそして大人びた感じが、母親と離れた寂しさを必死で隠す切なさを描き出す。他界した双子の弟を思う兄の、自分の一部が失われるような痛みを佐藤隆太が二役で表現する。そして異国で突出した存在として生活するマイクの直面する驚きとそれを克服する彼の優しさを、把瑠都の表情が立体化する。

あなたと私は違うし、あなたも私も明日はきっと今とは変わっている。それを受け止められるしなやかさを持っていたい自分にとって、このドラマが公共放送の地上波で再放送されたことは、作品の良さとは別に希望的とも言える。ドラマはこれからディスク化もするみたいです。

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