最適化の快
最適化には快が含まれている。
幼い頃、スーパーでの買い物について行ってお菓子の棚を見るのが好きだった。今日こそはお菓子を買ってもらえるかもという期待に加えて、在庫が前列に揃って並んでいるのを確認し、そうでない場合はこっそり手を伸ばして並べ直すのが好きだった。誤解されるといけないし、他の人が買うものをむやみに触らないでと注意されて以来あきらめた。大人になったら店員さんになって在庫管理するのもいいなと思っていた。
食べログとかスーモとかTokyo Art Beatとか、統一フォーマットでカタログ化されてる情報を見ているのが好きだ。この中にひとつぐらいは私の気に入る情報があり、このデータベースは私とその一件の出会いを助けてくれるはずだ、その希望はページを繰る手を止めさせない。
パソコンはMacしか買ったことがないAppleファンだが、仕事でウィンドウズを使わされた時(苦痛だった)唯一の楽しみは月一で義務付けられたデフラグだった。最適化は気持ちいい。
しかし一方、世の中には似たような飲食店やどんどん増える新築物件、同じ課題を解決しようとする競合会社であふれている。私自身も一向に最適化されないので、日々食べるために稼がなければならない。社会課題と食い扶持を一致させれば、1人分の労働の最適化ができる、そう考えたかどうかは分からないが、一風変わったNPOで働いて4年半経つ。(バースデードネーションていうのをやってますので良かったら見てやってください。)
形而下で人間は、最適化というイデアを夢見て生きていれば良い。テトリスが最高なのは、重力や摩擦がないからでしょう。関係で生きるリアルでは、リアルならではの偶然性や刺激が楽しいのではないでしょうか。(ってたまに言い聞かせないと忘れる)
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