バリューを出す
最初に入った会社でのカルチャーショックは強くて、その頃の体験は未だに衝撃のまま残っている。
ベンチャーで、仕事や会社がダイスキな若い人が多くて、何かしらの頭の良さとある面での心の熱さを併せ持った人が多かった気がする。
そこでは、入社1日目から「バリューを出せ」と言われた。新入社員にも賃金は発生する。つまり息をしてるだけでコストだ。早くお前のバリューを出せ。ここに居る意味は何か考え、結果を出すことがまずお前の仕事だ。
随分と厳しい言葉ではあるけど、好き勝手していた学生が突如社会人として毎日生きなければならない苦痛に耐えるために、その意味付けは有効と感じた。どんな仕事も大変なんで、どうせやらなきゃなら意味あるものにしたいじゃないですか。みたいな。
しかし仕事は付加価値創造のための戦いである一方、毎日の生活でもある。毎日負荷をかけ続けると、普通の人間は折れるか、慣れてダレる(そうじゃないタフな人もいる)。息抜きも甘やかしも、継続には必要だ。折れて倒れたこともある。なんとかやり過ごしてるとちょっとずつ、ダレる自分にも慣れてくる。そのうち自分のバリューを見極めることなんか忘れたりする。
でも仕事をしてるとバリューを出す人に出会うことがある。そのエネルギーに救われるような気持ちになり、何かをお返ししようと動いてたりする。あるいは、昔お世話になった先生をふと思い出して、そのバリューに気づいて今更震える。勝手に私淑してくる生徒にも、自分の時間を使ってでも叱咤激励してくれたこととか。
人にエネルギーを伝えられる仕事をしたい。元々は、自分が生きるエネルギーにも不自由するぐらい低血圧な性格だからこそ、憧れる。プロデューサーや編集者やPRマンの、人を動かす熱意と信念(狂気とも言える目をすることがある)。アーティストの、心を一瞬持ち去る言葉、社会の根底を揺るがすような表現。今だったらサッカー選手の結果への執念とか(勝ちだけが結果でないことを、日本代表はロシアで教えてくれました)。
常人には、自分がバリューを出せる範囲や条件やフィールドを知ることが必要だ。その上で、次の人が活かせるボールを渡すだけじゃなく、その先に人を走らせるボールを出したいと、今夜とつぜん思った。あるいはセンタリングのつもりで蹴ったボールが、ゴールに吸い込まれるかもしれないのが、現実の奇なるところであるのだし。
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