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アートのある暮らし

2月下旬に開催されたARTISTS’ FAIR KYOTOはすごい熱気だった。その裏側にあった、ディレクター椿昇さんの考えがインタビューに載っている。面白いので読んでほしい。
http://www.kansaiartbeat.com/kablog/entries.ja/2018/03/artists-fair-kyoto.html

3月の2週目は東京でアートフェアが同時に3つが開催されていた。3つとも足を運んで、アートフェア東京にはTABがメディアブースを出展させていただいていた。
平日に設営のため東京国際フォーラムのロビーに行くと、家なきおじさん達がベンチに憩っていて(たぶんアートフェア関係なくそれが日常)、会場内にはボランティアでアートフェアに参加している年上のコレクターの方がいた。

週末のアートフェア会場はいずれもにぎわっていた。それは「アートのある暮らし」という言葉から私がイメージする世界そのものだった。パートナーや家族と展覧会やアートフェアに行く。気になる作品の前で感想を述べあい、許されれば写真を撮る。どうしても気に入った作品を買って、手入れの仕方をギャラリストやアーティストに教えてもらう。部屋に飾る。その部屋で寝て起きてコーヒーを飲みご飯を食べる。時間を積み重ねて、人や作品との関係を築いていく。そのアーティストの次の展覧会に行って、挨拶をして近況を話しあう。おすすめの展示やアーティストを教えてもらって、また見に行く。

京都と東京で、取材や出展者のパスを提げて歩いて体感したところによれば、アートフェアを支える人たちは、アーティストもギャラリストもスタッフもアートメディアも、良い意味でアートに人生を狂わされてる人たちだった。その人たちにとってアートは、まさにアートフェア東京の今年のテーマ「Art is Life」であり、「アートのある暮らし」なんてパラレルワールドの存在なのかもしれない。

多くの人が人生を狂わされるほどコミットできるものがある世界は豊かだ。オタク上等、パラレルワールド上等である。私たち人間には言語やら表情があって、脳内パラレルワールドにいても対話できる仕様になっている。

アートは生活の潤いにもなるし、生活の糧にもなる。東京国際フォーラムのロビーからあるいはアーツ千代田3331の庭から、アートワールドを眺める家なきおじさんに希望か失望を与える可能性もある。フェア会場で目利きするコレクターのおじさんに利益や損失を与える可能性もはらんでいる。誰も見たことのないものを、アートと呼ぶのかサイエンスと呼ぶのかフィロソフィと呼ぶのか、私にはわからない。アートはあらゆるパラレルワールドからアクセス可能だ。もちろんあなたのいる世界からも。

この2ヶ月、フェアに集まる人の表情を見ていて、「アートのある暮らし」は次第に世の中で実現しつつある気がした。しかし私個人の生活には、その実感はない。「アートのある暮らし」は想像しやすかっただけで、べつに手に入れたいものではなかったのかもしれない。私は美術教育もろくに受けずに、見たことのないものを見てただ面白がってきたつもりだけれど、本当はもっと人生を狂わされたいのかもしれない。と、アートフェアの熱に灼かれてちょっと思った。

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