今から富山でホタルイカ食うぞ
祖父が亡くなった。76歳だった。
お坊さんが「故人様との思い出を忘れないことが何よりのご供養になります。」と仰っていたので、忘れない為にここに書き記したいと思う。
祖父は旅が好きな人だった。部屋には日本地図が貼ってあったし、多分47都道府県行ったことないところはないと思う。それに、しよっちゅう旅番組を録画しては繰り返しみていた。ある日四国のお遍路巡りの番組を見ていて「こんな感じなのか〜、、」と私がボソッとつぶやくと「いやこれ5年前のやつだから今はもしかしたらちょっと変わってるかもしれないな」と言っていた。5年前に録画した旅番組見て面白いか?
私が中学校1年生の頃だった思う。昼の3時頃、いきなり祖父が「おい、今から富山行くぞ。」と言い出した。理由を聞くと今富山はホタルイカが大漁で海岸沿いからもホタルイカが光っているのが見えて、もしかしたらバケツで掬ってホタルイカを取れるかもしれないという。そんな簡単にホタルイカ取れるの?見れるの?と思うがテレビでやってたし本当にアナウンサーが掬っていたという。早めの夕飯と風呂を済ませ夕方の6時過ぎ、祖父、私、弟、叔父、私の従兄弟で富山に向かった。
祖父は高速というものを忌み嫌っていて、なるべく下道で旅をしたがった。その日も富山までの道中はもちろん下道。とてつもなく時間がかかり、まだ海は見えないのかとうずうずした。夜の11頃ようやく富山に到着し、黒く墨のような海を見つめる。灯台が見えて、船が出航しているのが見えたけど、ホタルイカは全く見えなかった。光っているのも見れないし掬えもしない。なんなんだ。このことを海辺でお酒を飲んでいた地元の叔母様に話すと笑われた。そりゃそうだ。初期のiPodでぼくのりりっくのぼうよみを聞き、海を見つめる。それに飽きたら村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」を読んだ。表紙のビビットなピンク色がよく海に映えた。よりによってどうしてこんなに分厚い本を持ってきてしまったのかと悔やんだ。今でもその本を読むと自動的にあの日の星空と海風を思い出す。こうしていてもホタルイカ見れないし仕方なく車のシートを倒して寝た。
次の日の朝、適当なところで身支度を整えホタルイカミュージアム的な場所に行く。そしてここで「ホタルイカの天ぷら」を見つける。我々が想像しがちなボイルされたホタルイカではなく生のホタルイカをあげる。当たり前だけどホタルイカも火を通さないと白く透けている。ホタルイカの天ぷら食べたい!と言うと「絶対最初は刺身だ」というから仕方ない。パス。
車を少し出したところにホタルイカの刺身!と書かれた看板を見つけそこで昼食を取った。そしてついに!生のホタルイカと対面する。すごく綺麗で、思ったより白くないことに驚き、そして何より美味しすぎる。なんなんだ。こんな美味しいものがあってたまるか。と怒りまで覚えた。そして本当に、心のそこから美味しいと思えるものに出会えた時、人は言葉を失うことを気付かされた。従兄弟と顔を合わせ、何も言えず2人悶えた。そしてホタルイカの天ぷらやお寿司(全て時価!)を堪能し、大満足。確かに祖父は美味しいものや経験にはお金を惜しまず使う人だった。この考えは私にも徐々に現れているかもしれない。「少年の心で、大人の財布で旅をしなさい」と開高健は言ったそうだが、まさにこの言葉を祖父は体現していたと思う。
あれから富山には行っていないけどまた行こうと思う。色んな場所のお土産 お供えしよう。