そこにあるもの
ふと、振られて3日目に書いた文章を見つけた。
もう今はこんな文章は書けないだろうからnoteに投稿して供養しようと思う。
***
数日前まで、こんな未来は想像もできなかった。
朝起きて、胸が痛くなり、お茶を飲むのが精一杯、テレビの声は耳を抜けていく。
心配した祖母の声も私の耳を抜けていく。
来ることのないメッセージを待つのはやめようと思ったのは、これで何回目であろうか。
私も理解している。
彼の世界はこの時間も回っていて、私のことをふと思い出すのは、あのお揃いのマグカップの一つを使う時であろうか。
いや彼にとっては「お揃いで買ったマグカップの一つを使う」よりも「二種類あるマグカップのうちの一つを使う」に過ぎないのかもしれない。
「これ一つ持って帰ったら。」私が帰るとき、彼はそう言った。
「いいよ。また来た時使うもん。」そう答えた気がする。
彼に聞かれた瞬間、また近いうちに家に行くからという素直な気持ちと
私の存在を残しておきたくて、そんなずるい気持ちだった。
もしそのカップが今でもこの手元にあったら、私は棚の奥にしまいこんで、目に触れない所に置くのだと思う。
奥に、ずっと奥にしまいこんで、決して捨てる事はしないのだと思う。
捨てることのできない自分も心の奥にしまいこむのだと思う。
目に触れないものを人間は忘れていくというけれど、変わらずそこにあるそれを
忘れたくないそれを
私は忘れるのだろうか。
嬉しそうに買って来た彼の笑顔を忘れられるのだろうか。
彼の元にある私のかけらは、今でもあのままだろうか。彼ならば、なんの関心もなく置いたままにしていると思う。
そうであってほしい。ずっと壁に掛けられている絵が、外れた時だけ目にとめられるように。
ふと見てみると、綺麗な絵だったと気づくように。
きっと彼は、目に触れないものは、忘れてしまうと思う。もしくは、懐かしむ思い出でもなく過去にできるのだと思う。
だとすれば、何かの拍子で私を思い出すのかもしれないという、期待。
私を懐かしむのかもしれないという、期待。
***
とても短いけど、振られて直後の感情をそのまま書いている。
どうせだから綺麗に保存しておきたい。
今になって失恋してすぐの気持ちを思い出して書こうと思っても、きっと過去を振り返る形でしか書けないから、こうやってその時の気持ちを写真のように保存できる「文章」というのは素敵だなぁと思う。
だから私は、より鮮明で、鮮やかで、温度の分かる写真として保存したいから、それができるだけの文章力が欲しい。