やってあげたんだから、あなたもやってね!からの卒業
繰り返してきたことのひとつに、自分がやってあげたら相手も返してくれるのは当たり前。
相手になにかをしてもらったら、自分もなにかを返すのが当たり前というパターンがありました。
そうであったらいいな、を越えてそうであるべき!という強い願いは、ことあるごとに強いモヤモヤを引き起こしました。
例えば…
◉家族のために頑張ってご飯を作ったのに、美味しいと言ってくれない
◉義母の誕生日をお祝いしてあげているのに、わたしの誕生日を忘れている
◉仕事でフォローしてあげたのに、わたしの困っていることには見て見ぬふりをしている
SNSでは…
◉わたしはいいねを毎回つけているのに、相手はいいねをしない
◉知り合いにフォローされたら、フォローバックしなければ失礼などなど
※これらは3〜4年前までモヤモヤしていたことで、今は手放せています。
延々と起こる《こうであるべきなのに、そうでない》案件に縛られて動けなくなったとき、「だれにそう言われているの?」と自分に聞いてみました。
幼い頃にいい子にしていたら、習い事を頑張ったらなにかを買ってもらえたこと、親の言うことをきかないとお小遣いを取り上げられた経験などたくさんのストーリーが浮かびました。
そんな体験が自分の行動や思考を制限して、苦しめているんだって理解できたとき、自分に聞きました。
「この先もずっとそれを続けたい?」
もぅ、終わりにしたい…。
心からそう思いました。
とは言え、繰り返されてきたパターンからの脱出は大変。
未だに場面は変わっても揺れることがあり、そのたびに自分に問うては手放すことを繰り返しています。
わたしはインスタアカウントがたくさんあって、ありがたいことにアカウントをまたいでフォローしてくれる人がたくさんいます。
めっちゃうれしい。
フォローバックすると、そのかたの投稿がそれぞれのフィードに上がってきます。
本当は必要な投稿(情報)を必要な分だけ得たい。なぜならSNSってめっちゃパワーも時間も使うから。
押し花投稿もコミュニケーション投稿も見てくれているのに、片方のアカウントからしかいいねしていない自分に、今も後ろめたさを感じたりしています。
ブログアカウントを匿名で運営しているのは、気軽さのニーズが大きいです。
小さな挑戦を始めました。
くせ毛アカウントではすでにつながっているかた、くせ毛や美容に関する投稿をしていないかたは基本的にフォローバックしていません。
以前のわたしの言葉を使うと《恩知らずなダメな自分》になって、それでもいいって思ってくれる人とつながる練習をしています。
もしも該当するかたがこれを読んで、素直に感じたことがあればメッセージくださいね。
わたしにとって自分の心地よさを追求するための小さな実験について、最後まで読んでもらえたことがとっても有り難くてうれしいです。
本当は望んでいるわけじゃないのに、反応的に動いてしまうこと、リアクションを返してしまうことってありませんか?
もしもあって、本当はもっと気軽さを大事に、自由になりたいと思っているかたがいたら、一緒に手放す挑戦をしませんか。
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