自分を起点にお墓問題を考える
こんにちは、さーよです。
突然ですが、死後、自分の骨をどこに納める予定ですか。
わたしはこの問いを10年ほど前から考え続けています。
最初は親や子どもを起点をして考えていたのですが、自分を起点にしたら最初とはまったく違う選択肢にたどり着きました。
一人ひとりの背景や状況によって正解はないと思うので、そういう考え方もあるんだなぁと読んでいただけたらうれしいです。
最初に見えた選択肢
まずは、この問題を長年考えてきたわたしの背景について、簡単に説明させてください。
夫とわたしは長男長女です。
両家の両親は実家を継いでおらず、それぞれ新しい墓地や墓石を購入しました。
実妹は義両親と住んでいて、義実家のお墓に入る予定です。
夫の弟はもうすぐ50歳ですが、結婚の予定はありません。
お墓を継いでいけるのは、わたしたちと息子一人(の予定)。
お墓を継いでいける人が少ないのに、ふたつもお墓があることが不安でした。
調べていくうちに『両家墓』(複数のお墓を一つにまとめたもの)という選択肢を見つけて「これ、いい!」と、夫や両親たちに提案したのですが、反応はいまいちでした。
たくさん考えたのに、イマイチな反応だったことにモヤモヤ。
“どうするべきか”を考え、判断して相手に伝えるとき、わたしにとって最善策=それしかない状態でした。
…ということは。
どんなに柔らかく伝えたつもりでも、心の中では提案ではなくて強要に近いものになっていたんですね(きっと、言葉の端々にだだ溢れていたと思いますw)。
提案をのみこんでくれない=否定されたと感じて怒りがわく。
自分を傷つけないために「あの人はそういう人(=分かってくれない人)」とジャッジする。
相手を責めるだけでなく、分かってもらえないわたしも、やっぱりダメで愛されない人間だと責め続けていました。
あぁ、、痛かった(泣)。
判断・強要から 観察・感情・ニーズへ
NVCでは出来事がおきたとき、何が起きたかを観察します。
そこにある感情を探します。
本当にわたしがほしいものは何だろう。
そう、こんな願いがわたしの中にありました。
さらに、本当に自分がほしい方向へ
一年前に義父が亡くなりました。
納骨の日、骨壺に入れられた義父の骨は、重たい墓石の扉を開けて中に入れられました。
扉が閉められるとき、胸がきゅ〜っとしめつけられる感覚がしました。
自分の死後、同じように墓石の中に入ることを想像したとき、心の叫びが聞こえました。
『いやぁ…閉じこめられたくない!』
あふれてくる強い思い。
あるものに視点を向けて、ゆっくり掘っていきます。
両家の墓をどうするか、ということを調べていたときに『樹木葬』や『海洋葬』というキーワードを目にしました。
気になったものの、お墓をどうするかに注目してたためスルーしていました。
だけどやっぱり、土や水に還りたい。
土や水に還る自分を想像すると、すごく開放感があってうれしい気持ちになる。
夫と息子に思いや願いを話したところ、ふたりとも同じ思いをもっていました。
びっくりでした。
わたしは何を10年も、ひとりで悩んできたんだろう…。
たくさんの情報や選択肢があっても、正解はないから。
どうするべきかではなく、どうしたいのかの視点で、家族や自分の願いを大事にしながら進んでいきたいと思っています。
あなたが『死後』や『お墓』に関して、大事にしたいものは何ですか?
※樹木葬について参考になりそうな記事→☆
※海洋葬について参考になりそうな記事→☆
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