小倉百人一首鑑賞(一)理想の天皇像

秋の田の仮庵の庵の苫をあらみわが衣手は梅雨にぬれつつ  天智天皇
(あきのたのかりほのいほのとまをあらみわがころもではつゆにぬれつつ)
(母音:あいおあおあいおおいおおおあおああいああおおおえあうういうえうう)
現代語訳:秋の田のほとりにある仮小屋の屋根、その屋根に吹いた苫の網目が粗いので、私の衣の袖は夜露に濡れてゆくばかりだ

本日より、鑑賞をはじめます。
和歌と現代語訳、そして母音を書きました。
普段は意識をしないですが、日本語は一音一音すべてに母音がついていて、そのような言語は世界を見ても少ないそうです。
母音がメイン、子音がそこに変化をつけてゆく。
突き詰めれば、母音で語っているのだと思います。
音韻での伝達を受け取れるように記載しました。

さて、この歌の中で難しい単語は、「仮庵の庵」「苫を荒み」でしょうか。
「仮庵」は農作業のための粗末な仮小屋のこと。田畑を荒らす鳥や獣を防ぐための仮小屋。「庵」は草木を結んで作った簡単な仮小屋。おなじような意味ですね。
「苫」はスゲやカヤで菰のように庵で、屋根や周囲の覆いにとするもの。

「仮庵の庵」の「庵」が二回繰り返しているのは、重ね言葉といって語調を整える用法らしいです。「淡海の海(万葉集)」「真玉手の玉手(古事記)」など。
そういえば「頭痛が痛い」とか、わざと間違えるギャグがありましたが、間違いではなかったのかも?
この用法日常語でも使われていて、「びっくり仰天」「好き好んで」などがあります。

31音しかない歌、現代短歌なら意味が重なる言葉はどちらかを消して他を描こうとしますが、いにしえはゆったりしているなと感じます。意味を修飾するのではなく、重ねることで「庵」を大切にしたい思いの現れでもあるように感じます。

母音は「あ」と「お」がメイン。上句の「い」は横に口を伸ばしてキツイ音なので、風景と合わせて味わうと、ざくざくと編まれた草木が時折飛び出ているような仮小屋を想像させる音です。
もう一つある「い」は下句の「梅雨に」で、これも冷たそうで「ひぃっ」といいたくなるような場面。母音「い」が場面を立ちあがらせるアクセントになっているように感じます。

この歌は「梅雨に濡れつつ」の「つつ」が生活の実感がありません。袖が次第に濡れてゆく経過、そのことへの感慨を言っているので。
参考文献によると、この歌は万葉の「秋田刈る仮廬を作りわが居れば衣手寒く露ぞ置きにける」(巻十 2174)に源流があるものと考えられるとのこと。文雅の意識が芽生えつつ、万葉の歌の方が土のにおいがしてきます。
百人一首の歌の方が洗練をされ、王朝人好みの言葉づかいで、どうやら口伝えで伝わるうちに、素朴な農作業の実感から離れ、作者も天智天皇とされるようになったらしいとのことです。

天智天皇は即位前は中大兄皇子、中臣鎌足と謀って曽我氏を滅ぼし、大陸文化を移入し、大化の改新を断行。平安時代の歴代天皇の祖として尊敬されていて、農民の労苦を理解できる理想の姿が重ね合わされたらしいです。

技巧の目立つ百人一首の中では、すんなりとした歌だと感じます。
そして理想をこうやって作品にして共有するのって、豊かだなあと思います。ほんとか嘘かのみだけでなく、歌の物語性と共に虚が真になる力って言葉にはあるから、理想を語ることの大切さを思い起こす歌となりました。



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