品格、美しさと対人援助職
産業分野の保健指導のお仕事にチャレンジすることになって、年収が激減しちゃう。もうエステに通うのはやめよう、と夫に言ったら、「それはダメだ。先生業なんだから、美しくないといけない。」と逆に指導された。
夫にしてみれば、自分を美しく保てない人から健康指導を受けても説得力がない、とのこと。見た目問題ではなく、社会的な礼儀としての美意識の大切さ、だとか。
実はこの手のご意見は、いつもこっそり対象者さんから聞かされてきた。
「あんたやからゆうけど、あんな品のない人、家に入って来て欲しくない。」「あの人、もうちょっと綺麗にして来て欲しい。」
数えきれないほど、その言葉を耳打ちされてきた。その度にその言葉の意味を考えてきた。
え、私は大丈夫?!
対人援助職における品格、美しさ。
対象者さんたちは、決して見た目で判断しているのではない。し、クレーマー的な感じでも、ない。
品のなさ、醜さ…それをどこで感じて、耳打ちしてこられるのだろうか……。
私は随分オトナになってから援助職に転職することになったため、今でもどちらかというと対象者さんと同じ、一般的な意見寄りの自分がいる。
ずっと若い時から援助職に就いてきた人たち特有のクセを、いまだに私自身が、客観的に強く感じてしまうことがよくあるのは事実。
なりふり構わず人を助ける美徳……というのか何なのかわからんが、自分のことはさておき、対象者さんを援助することが最優先、が良きの文化圏。
一方で対象者さんもまた1人の人間であり、援助職者とフラットな関係性を望んでくださる方ほど、援助職者のことを大切にしてくださる傾向があると思う。
援助職者が自分をきちんともてなすことができてはじめて、対象者さんを同じように大切にするということができる、という基本的なことが、できているのか……?
援助職者が自分自身を理解して、大切に扱うことができていないと、それが品のなさや醜さ、あるいは振る舞いに繋がってしまうことになるのではないか……、という結論に至った。
それをずっと耳打ちされてきたのかしらん。
「メイド・イン・マンハッタン」という大好きな映画の中で、ホテルのメイドさんたちの上司が「援助職者に必要なのは品格である」的なセリフを放つシーンがあった。
援助職者になって、その耳打ちをたくさん経験してきて、そのセリフの意味が初めてわかった。
社会的な礼儀としての品格、美しさ。常に意識して仕事に取り組んでいきたい。
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