独りでご飯を食べてた話

学生時代、私は所謂ぼっちだった。
ぼっちなのでもちろんお昼休みは独りだった。

小中学校ではコミュニケーション能力上昇目的なのか4、5人で机を強制的にくっつけさせられて給食を食べていた。

それが高校となると、もうそんな見せかけの仲良しごっこはしない。
皆本当に仲の良い人達だけで固まって自由な席取りで食べる。

私はそんな中、ぽつんと自分の席から動かずそのまま机にお弁当を広げて黙々と食べていた。

苦痛に思ったことがない。
なぜなら物心つく時から独りで食事をするのが当たり前だったからだ。

他の記事に書いた通り、私の両親はギャンブル依存性でほとんど家を空けていた。
日付が変わる頃に帰ってきてコンビニのお弁当を与えるか、幼稚園から帰ったら早めの夕飯を出されるかだった。
そんな食生活が長く続き、独りで食事するのが私の中では当たり前になっていた。

中学生のある日、水商売をしていた母がいい加減歳なので引退して工場で働き始めた。
これを機に夕飯を共にすることになったのだ。

私はびっくりした。
母の咀嚼音は大きかった。口を開けて牛のようにクチャクチャと音を立てていた。母がそんな食べ方をしていたなんて中学生になって初めて気づいた。
つい唖然としていたが当然不快であった。でも我慢していた。

なのに母は、ある日私の皿に盛られている具材が自分のより多いと主張し、口論の末無理やり既に口をつけていたテメェのフォークで具材を強奪した。

母の態度もそうだが、衛生的にも耐えられず、私は自分のお皿を持って走って自室へ逃げ込んだ。

その日から私は母と共に食事をするのを辞めた。
夕飯時は自分のお皿を持って、さっさと自室へ行き、扉を閉めて黙々と食べた。
自室こそが自分の城なのでなんだか安心したし、心置き無く落ち着いて食事ができた。

こんなきっかけではあるけれど、強がりじゃなくて本音で独りで食事をするのが好きだ。
なにより誰にも邪魔されない。
だから高校時代の昼休みも苦じゃなかった。


よく昼休みに独りでお弁当を食べられない、という人をTwitterで見ていた。
可哀想だなと思っていたが彼らに完璧な理解はできなかった。
なぜなら私は平気だったから。

でもある日授業が終わって昼休みに切り替わる時、私は見てしまった。
1階の隅の女子トイレにコンビニで買ったであろうパンを抱えてトイレへ駆け込んでいくのを。
彼女はこれからトイレの個室で食事をするのだろう。

あの時の彼女の深刻な表情が忘れられなかった。
「誰にも見られたくない、辛い、早く帰りたい、本当はトイレで食べたくない。友達と食べたい」
憶測でしかないが彼女はそう思ってたのかもしれない。

私はいつしかトイレで食事をする人を不潔で勇気がなくて哀れだと見下していたけど、
誰かと楽しく食事をしたいという願望すら捨てきって余裕ぶってた私の方がカッコ悪くて無様な人間だと思い知った。

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