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めいちゃん

めいちゃんの話をします。

めいちゃんは私が出会った美少女のひとりです。
手足と睫毛がのびのびと長くて、バレエのお稽古に精を出していて、中学生の時点で英語、ドイツ語、フランス語、中国語が堪能でした。

彼女はのちにダンサー、振付師、優秀な経営者、DJとしても活躍することになりますが
それは霧の中の未来の話、
中学生の私たちはその年代特有の苛立ちや欲求不満を抱えながらその日そのときを一生懸命に切り抜けていました。

人形町の塾で出会っためいちゃんは
私にたくさんお手紙をくれました。

塾の帰り道はほろ酔いのサラリーマンや焼き芋や餃子を売る車がこわくて
ふたりで手をつないで
駅まで帰ることもありました。

あるとき私たちは
その進学塾を一緒にサボろうということになりました。
二人で悪いことをしているという感興も
電車でいくつかの繁華街を移り歩くうちに
少しずつ、めいちゃんと私のそれは温度差が生まれていたようでした。

私は自分の最寄駅にめいちゃんを連れて行き、
私の母に駅に迎えにきてもらうよう手配して
二人を会わせようと思いつきました。

これはどういうことか説明が難しいのですが
母に見せたかったんだと思います。
飼い猫が獲物を連れ帰って飼い主に誇らしく見せて、飼い主にとんでもなく動揺され怒られるような。
これは私の人生の中でつい繰り返してしまう行動パターンです。

めいちゃんは
そろそろ帰るね、と言いました。

私は底知らずに楽しむ夜だと思っていましたので
まさか一緒についてこないとは思いもせず
このとき私は新しく学びました。

共犯関係という甘美な条件のもとでも
情熱や感興というものには
他者である以上、温度差があるということ。

どんなに信頼している間柄でも、それは家族でも恋人でも友人でも、
自分以外の他者である以上
同じ景色を前にしても
見え方は違うこと。

どっぷり何かに夢中になり嵌まり込むには
自分ひとりしか、
これ以上の自分の相棒の適役はいない、と
そのとき感じたのでした。

英語、フランス語、ドイツ語、中国語が堪能で
長い睫毛と恵まれた肢体
歩くだけでダンスのようでした。
もちろんきっと彼女も私の人生に影響をもたらしている、そんな気がしています。


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