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▶︎始まりは体育教官室
友達が新しい制服に身を包む春、私は夜間定時制高校に通い始めた。
家庭の事情もあったが、私のやりたい事にぴったりだった夜間高校。様々な背景を抱えた私服同士のクラスメイトと過ごす夜の教室は、なんとも言えぬ特別感があった。
この学校で、私は先生に出会う。
その体育教師はやけに私を可愛がった。荷物運びに私の名前を呼び、私の運動音痴さをイジっては笑ったり、熱心に面倒も見てくれた。クラスメイトの誰が見ても、先生が私を気に入っている事がわかってしまうほどだった。
少しぽっちゃりとしていた私に痩せかたを教えてくれ、1週間分のダイエットノートを提出すれば毎週目を通し、指導してくれた。
当時16歳だった私は満更でもなかった。私は心配してくれる大人の男の人が大好きだった。それまでも、世話焼きな中学の先生や大人の男の人によく懐いていた。
大人から向けられる愛情が心底嬉しかったのだろう。幼い頃に両親が離婚し、母が昼も夜も働いていた私には、積極的に関わろうとしてくれる大人の存在が何より特別だった。
ダイエットノートのやり取りが1年続いた春、先生は学校を離任する事になった。
離任を知った私は「これからもノートを見てほしいから、連絡先を教えて欲しい」と伝えると、体育教官室に荷物を取りに来る最終日にノートを見せにおいでと言ってくれた。
もちろん、私はまたノートを見て欲しかったんじゃない。熱心な大人が身近にいなくなる事も、もう先生に会えなくなってしまう事も、心にぽっかり穴が空くような寂しさがあった。
『最終日に私が目標体重を達成してたらドライブに行きたいな』
そう冗談めいて伝えると先生は、「お前が綺麗になってたらな」と笑った。
約束の日、先生はデニムを履いて現れた。ジャージ姿しか見た事のない先生の普段着に、私は都合よく『…デートだ。』と受け取った。
初めて入る体育教官室で、先生が荷物をまとめる。ちゃんとノートも持って来た。初めての2人きりの部屋。何故かいつもの先生とは違う穏やかな空気感に、硬直する私。
ゆっくり確認してもらった後、車へ向かう。
初めて乗る先生のセドリック。
先生の香水の匂いがする、クーラーの効いた車内。これが大人のデートか、と胸が躍った。
先生は地元で定番の夜景が見える峠に連れていってくれた。夜景を指差す先生の手が思ったより小さくて笑った。私の方が小さいねと言って手を合わすも、その日はそれ以上は進まなかった。
所詮先生と生徒。本当に最後のご褒美なだけだったんだ、と言い聞かせ中途半端な敬語で距離をとりながら夜23時に家まで送り届けてくれた。
後日、先生は2回目のドライブにも連れていってくれた。今回こそはデートだよね?と心で疑問を抱きながら、また夜景を見にいった。街全体が見渡せる、山の上の大きな公園。
駐車場を降りて頂上に辿り着くまでの山中、歩くのが遅い私を見兼ねて先生が手を伸ばし、私の手をぎゅっと強く握った。
公園にいる他のカップルに紛れて、静かに夜景を見渡す2人。
「私と先生の身長差、15cmってベストカップルなんだって」
そう伝えると、先生は私にキスをした。我慢が崩壊したようなキスだった。私たちは壁を越え、付き合う事になってしまった。
それからというもの、毎週末に先生の家に泊まりに行った。周りの目を気にして、少しでも大人っぽい服を着るよう言われ、普段選ばないようなブラウスを着込んでヒールを履き、私なりに頑張った。
夜に映画を見てはセックスをし、朝ごはんを食べてはセックスをした。先生はとても独占欲が強く、私の身体中にキスマークを付けた。
中学の時に着ていた制服でのプレイ、初めてのパイパン、泣くほどのイマラチオ、アナルセックス。先生が望む事は何でもした。あらゆる初めてを教わり、先生は独占欲を存分に満たしていた。
その欲求はエスカレートしていき、先生は私を言葉で支配するようになった。プレイの一環などではなく、日常的に『お前は俺がいないと何の価値もない』『お前は誰にも相手にされない』という類の言葉を投げつけるようになった。
突然『お前が浮気したら、お前も相手も必ず殺すから…』と言って静かに私を抱きしめたりもした。
当時17歳だった私。彼の言葉通り『私は貴方がいないとなんも価値のない人間』と思い込んでしまっていた。大好きで尊敬する先生が言うのだから、その通りだと思ったのだ。
自分への自信が枯れていく事にも気付かないほど、私は彼の言葉に洗脳されてしまっていた。《彼が言った事は全て正しい》。そんなフィルターで、孤独に世界を見ていた。
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私は18歳になった。
私の将来に関わる大事な面接の前夜、顔に大きなアザのようなキスマークを付けられた時、この愛は異常だと気付き始めた。
私は、急に不安に襲われ泣いた。
今まで彼は私が目指して来た夢に嫉妬する素振りを見せつつも、妨害するような事はなかった。彼氏ではありながらも、学校の先生は生徒の夢を全力で応援してくれるものと思っていた。
本当に大切に思っていたら、大切な人の未来を邪魔する事なんてしないはずだと彼に必死で訴えるも、彼は「たまたま付いてしまっただけだ。」と言い、不貞腐れ気味に平謝りするだけだった。
顔についたキスマークを隠す為に、初めてコンシーラーを買った。なかなか上手に消せず、鏡越しにまた涙が出た。
これ以上この人と一緒にいてはいけないという気持ちと、まだ好きな気持ちが混在した複雑な感情を抱えて、数日後の夜彼を呼び出した。車内で別れを切り出すと彼は言い訳せずに「わかった。」と一言だけ言った。
最後に少しだけドライブしようと言って、彼が車を走らせる。私が黙って窓の外を眺めていると、彼は静かに煽り始めた。「何か言えよ」「今までの気持ちは全部嘘だったって事だよな」「大人を舐めやがって」「所詮お前はその程度の女って事だ」。
いつからかそんな言葉にも抗体が付いてしまい、反対に彼の心の内の動揺や寂しさが手に取るようにわかってしまった。激しさを増す言葉の羅列が全て「嘘だと言ってくれ」とせがみ泣く子供のようで、私は胸が張り裂けそうだった。嫌いになったわけじゃない。ただこの闇から逃げ出したかった。
彼は感情を露わにしたまま、川沿いの土手を猛スピードで駆け抜け、助手席に座る私に向かい顔を真っ赤にして罵倒し続けた。
彼にとって、きっと私は全てだった。ひとまわり以上歳の離れた私と、互いに深く依存し合ってしまっていたのだ。
車のスピードは、このまま一緒に死んでもかまわないという勢いだった。危険を顧みず互いに落ちていった日々を走馬灯にしたかのような、目紛しく、怒りと悲しみに満ちた最後のドライブだった。
私は流されず、涙を必死に堪えながら耐えた。彼の存在よりも大切な、夢と目標がはっきりと見えたから。
私は3年後の春、彼の支配下から卒業した。
ギミコ