ピアノdays
久しぶりに、NHK-FMの「青春アドベンチャー」を書きました。
藤井青銅らしからぬタイトルでしょ?
このドラマには、ずいぶん以前からのいきさつがあったのです。
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30歳の頃、私は突然ピアノを習い始めた。
私の世代の男はだいたいギターが弾ける。私も弾ける(下手だけど)。が、私はピアノが弾けない。だからずっとピアノへの憧れがあったのだ。
大人になって、放送作家になって、ちょうどヤマハがピアノタッチのクラビノーバを発売したので、
「これなら場所をとらないし、ヘッドフォンで練習できる」
と買った。
だが、問題は先生だった。まだヤマハは「大人の音楽教室ビジネス」を始めていない。NHKの「大人のピアノ講座番組」など企画の影も形もない。
私はいつも、世間よりだいぶ先走ってしまうのだ。
知り合いが、「基本は子供に教えてるけど、大人に教えてもいい」という先生を紹介してくれた。私より十歳ばかり年上の女性だった。
下北沢のご自宅まで、二週に一回程度個人レッスンに通うことになった。
「ギターが弾けるのなら、和音のことはわかってるのね」
と先生は最初のうち、基本的な指使いのレッスンをした。それで様子を見ていたのだろう。少しずつ簡単な曲を弾かせ、やがていきなり「トルコ行進曲」(モーツァルト)を弾かせようとしたのだ。私のおぼろげな知識では「バイエル」だのなんだのという教則本をイメージしていたので、驚いた。
しかし先生曰く、
「教則本の曲ってつまんないでしょ。ちゃんとした曲を弾いた方が楽しい」
「そりゃそうですけど…」
「子供は感情を込めるのがまだうまくないから教則本の曲でいいの。でも大人は感情を込められる。藤井クンみたいな仕事をしてる人は、とくにそれができる。下手でもいいから、曲を弾きましょう」
この先生の言葉は、芸事の真理だと思う。だって私は、この年から始めてピアニストになろうというのではない。楽しみながら、少しうまくなりたいだけなのだ。
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こうして私は、仕事をしながらピアノのレッスンに通うことになった。ピアノdaysだ。この頃の周囲の反応が面白かった。
会議をサボる時、嫌な飲み会から逃げる時など、人は色々と「理由」を言う。私の場合、こうだ。
「藤井さん、次回の打ち合わせはこの日のこの時間で…」
「あ、その時間はピアノのレッスンが入ってるんで」
「ピ、ピアノ!?」
たいてい相手は驚く。意表を突かれて二の句が継げないのだ。
「……あ、そうですか。じゃ、別の日に…」
この相手の反応が面白くて、よく断る理由に使ったものだ。
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先生は小学生や中学生に教えるのがメイン。だから、レッスン時間の前後でそういう子供たちと出くわすことがあった。私は「いま学校でどんな歌が流行ってる?」「どんなお笑いタレントが好き?」なんてリサーチをする。
ある時、私にとっては姉弟子にあたる小学生の女の子が「これ面白いんだよ」と教えてくれたコミックがあった。レッスンの順番を待ってる間に読ませてもらい、その面白さにビックリした。タイトルは「ちびまる子ちゃん」。
当時、大人はほとんど知らなかった。あまりに面白かったので放送業界の何人かに教えたが、みんな知らなかった。
数年後、アニメで大ブームをおこした時、知り合いの業界人に、
「そういえば青銅さん、ずっと前からこのマンガは面白いって言ってましたね。さすが、アンテナの張り方が凄い!」
と感心された。
「そうだろ? エッヘン」
と私はイバった。実はピアノ教室で小学生に教えてもらったとは言わずに。
その頃、レッスン用に買った全音のピアノピースの裏にある一覧表を眺め、
「いろんなタイトルのピアノ曲があるんだなあ。知ってる曲もあるし、『どんな曲だろう?』と想像が膨らむのもある。いつかこういうピアノ曲のタイトルをお題にした短編集を書こう」
と思った。
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私のピアノdaysは十年近く続いただろうか。やめてからも短編集のアイデアはずっと胸の中にあり、いくつかタイトルから思いついた登場人物やシーンを転がしながらも、書かないまま来てしまった。
先日、そういう話をたまたまNHKのディレクターにしたら、
「それ、ピアノ弾きをストーリーテラーにしたら、オムニバスのラジオドラマになるんじゃないですか?」
と言われた。
「なるほど。その手があったか!」
私はずっと小説にすることを考えていたので、ラジオドラマに思いが至らなかったのだ。
「ピアノはCD音源ではなく、実際のピアニストにお願いしましょう」
「それは贅沢ですね!」
というわけで、およそ三十年越しに、意外な形でアイデアが実現した。
音楽を担当してくださったのが、川田瑠夏さん。通常のドラマと違い、今回はピアノがもう一人の主人公でもある。
川田さんの音楽のおかげで、いつもの藤井青銅とはテイストの違うドラマができました。
ちなみにオンエアが年末になったのは、たまたま。かつてこの番組で「干支シリーズ」を書いていたような年末感はまったくありません。あしからず。
でも、聞いていただけると嬉しいです。