頭は耳に勝てない、耳は…

以前から「頭は耳に勝てない」と思っている

何かを考えている時、それとは別の情報が耳から聞こえてくると考えがまとまらないという経験は、誰でもあるだろう。
たとえば、頭の中で「六五・三十、六六・三十六、六七……」などと九九を諳んじている時、そばで「六八・九十、三八・七十五……」とかデタラメな数字を言われると、頭は混乱する。

ラジオを聞きながら勉強するという人は昔も今もいるが、あれも面白いトークだとそっちの方に引っ張られてしまい、頭の働きがおろそかになりがちだ(番組を作っている側としては申し訳ないが、嬉しくもある。嬉しいと思っていることも含めて申し訳ないと思うけど)。
音楽だと、そうでもない。しかし歌詞の内容に引っ張られ、やっぱり自分の思考がストップすることはある。聞いてて意味が分からない外国曲や、インスト曲だとそんなことはないけど。

いや。シーンとした無音より、むしろ適度にザワザワした音がある喫茶店のような場所の方が考えごとに向いている、という事実はある。私もむかしから喫茶店でアイデアを考え、原稿を書いてきたから、よくわかる。そういう方は多いのではないか。
しかしそれは自分とは関係のない、いわば環境音だからだ。隣の席で、自分の興味がある話題を喋っていれば、やっぱりつい聞き耳を立ててしまうもんなあ。

むろん、集中すれば周囲の音が聞こえなくなることはある。単調な同じ刺激音が繰り返す場合、脳の方で聞こえていないことにするらしい。川のせせらぎとか、蝉の鳴き声とか、車の走行音とか…。
ふとした瞬間に「そういえば、さっきからこの音が聞こえていたんだ」と思い出すけど、しかしまたいつの間にか聞こえていないことになる。

だが総じて、「頭は耳に勝てない」と思っている。

そして「耳は目に勝てない」と思っている

百聞は一見にしかず、という。まったくその通りで、どんなに言葉で説明されてもピンと来ない場合でも、目で見れば一発で理解する。
「美人っていうより可愛いタイプの子で、目はパッチリして、色白。笑うと小さなえくぼができる。髪は長くて、やせ形で……」
などとえんえん説明されるより、写真を見た方が早いのだ。
耳は目に勝てない。

学生の時に読んだ『いたずらの天才』(A・スミス)という本に載っていたエピソードを、まだ憶えている。
アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、ホワイトハウスの大きなパーティーで入場する客を迎える時、100万ドルの微笑で一人一人と握手をしながら「私は今朝、私の祖母を殺しました」とつぶやくというイタズラを試みた。誰一人それに気づかなかった……というもの。
本当か嘘かは知らない。「耳から入る情報」は、目の前で憧れの大統領がにっこり微笑んでいるという「目からの情報」によってかき消されてしまうということだ。あるかもしれないなあ、とは思う。

現代だって、アイドル歌手がビジュアル重視になるのはそういうことだろう。「耳からの情報」である歌より、ルックスや衣装やダンスといった「目からの情報」の印象の方が強いからだ。
エンタメは、とくにそうだ。

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