「詳しい」と「楽しい」の関係
連日の大谷翔平選手とドジャースの話題に、
「あ、そうだ。あれがあったはず」
と思い出して、本棚から以前読んだ文庫本を引っ張り出した。
『ドジャース、ブルックリンに還る』
奥付を見ると、昭和61年だ。
「いつの日か、こんなこともあろうか」と、私は神のごとく未来を予測し、38年間ずっと手元に置いていたのだ!!
……そんなわけはもちろんなく、たんに面白かったから捨てずにとってあったのだが。
なにせタイトルが「還る」なんだから、この本でドジャースが元はNYの球団だと知ったし、なぜドジャースという名前なのかも知った。
とはいえ実は、私は野球にあまり興味がない。日本のプロ野球も、メジャーリーグもだ。
いや、嫌いというわけではなく、ルールもわかる。私の年代は漏れなくキャッチボールや草野球をやって育っているし、小学生の頃は少年マガジンに連載中の「巨人の星」もワクワクしながら読んでいた。甲子園の高校野球は好きで、かつてよく見ていた。
ただ、子供の頃からプロ野球にあまり興味がないのだ。家ではテレビでナイター中継を見る習慣もなかった。したがって、選手もよく知らない。セ・パ12球団名を「知らなきゃマズいんじゃないのか? 憶えよう」と自覚して、わざわざ憶えたのは高校生の時だ。
しかし、興味がなくても、自然と目に入り耳に入ってくる情報で、なんとなく有名な選手やチームの基礎知識、現状の成績などを知ることができるのだから、野球の日本社会への浸透度は凄い!
私がこの本を読んだ昭和61年は1986年だ。
この頃、キンセラの野球モノ小説がブームだったのだ。私も何冊か読んだ。そういえば、こないだの東京ドームでネタにした映画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作もキンセラだ。映画公開は1989年。
野球というスポーツはノスタルジーやセンチメンタルと相性がいい。これはアメリカでも日本でも同じようだ。(キンセラはカナダの人だが、アメリカ文化にどっぷり浸かっている)
日本では、それに組織論や精神論、根性物語の側面も加味されていて、たぶんそこが私とは合わないのだろう。が、私の野球観は日本社会におけるマイノリティーだと自覚しているので、別にかまわない。
野球は、詳しい人が多く、たっぷりとデータや蘊蓄を語れる人が多い。そんな方から見れば、私なんかの感想は子供じみたものだろう。だが、野球にそう詳しくなくても、野球を題材とした漫画、小説、ノンフィクション、映画…を楽しむことはできるのだ。
知識があって詳しいという事と、楽しめるという事は別の話。もちろんそれは野球だけではなく、サッカーだって、バスケだって同じ。いやスポーツに限らず、時代劇も刑事モノも医療モノも、みんなそうなのだ。