博士と共に歩む人生 第一楽章 その3
メキシコ勤務時代
1981年6月、父の賛成を得て、就職のため、
再びメキシコへ!
父から手渡された封筒には20万円が入っていました。
留学に続いて、2度目のメキシコ。
父はメキシコ旅行も経験していたので
すんなり、私の海外勤務も
認めてくれたに違いありません。
一時帰国の目的は?
ある時、父から手紙が届きます。
「願ってもない縁談がある。
すぐに帰国せよ!」
釣書(つりがき=お相手のプロフィール)と共に
写真も同封されていました。
とても好感が持てる、
医家の青年医師です。
でも、その時の私は、
「結婚など願っていない状況」
なのでした。
20代後半、結婚よりも
仕事の方が関心があったのです。
家族で海外旅行する計画の知らせも受け取りました。
その時は迷わず、一時帰国しました。
家族とのフィジー旅行のために。
決して縁談のためではありません。
1981年−1984年
(メキシコ政府機関で
唯一の日本人として
勤務していた時のことは
別の機会に綴ります。)
再び日本へ
1984年、
メキシコ政府機関総裁の逝去により、
方針が変わり、解雇されました。
数ヶ月メキシコに残った後、
帰国の途についたのです。
空港に出迎えに来てくれた
父の喜びように、
今度は私が感動しました。
その時には
縁談の嵐に巻き込まれるとは
夢にも思っていませんでした。
(続きます)
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