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《詩: 14行詩》もしもしと

2014年8月1日-8月10日
X での投稿: 2020年8月23日

もしもしと尋ねることが許されて、尋ねる耳を間違えること
無いならば。ただ徒に吹き荒ぶ嵐の中に、為す術もなく
あるだろう、閉じこもり屋で、それでいて融け合っている、言葉に部屋を
あと、鍵も。大丈夫と言うことが出来ない代わり、酷い嵐が
来ないよう、用意すること、そればかり考えていて。君の言葉が
耐えられず、ただ閉じこもる、その為に必要のない声を出すこと、
あと他に、悟られること無いように。尋ねることが出来るのならば、
君だけに聞こえる声があったなら。私と君に近さがあれば、
こんなにも思い悩んでしまうこと、避けられたのに。嵐の中に
居続けることしかなくて。もう早く、この現実に1つの答え
届いたら、どんなにか胸晴れるのか。それがどれほど安息になって、
君のこと、君の思いを助け出し、そして守ってあげられるだろう。
もう思い患うことが無いように。そうは言っても、嵐は私と
別れたいと思ってない。君と居る時間の全てが、無かったのならば……


2014年は、57577で書き始めた年ですが、使いこなせていなかった為に、不自然に機械的な文章になっていると思います。

X: 2020年8月23日

解説と反省文

2014年8月24日

ちっとも詩の世界に踏み込めない。自分の年齢を考えれば、もう諦める頃だろう。
そもそも、他の詩人とは違う道を歩んできている時点で、門戸は開かれていないに等しい。
それに、私が素材になっているだろう創作やコンテンツに触れるのも、まだ馴れていなかった。
作品を通して、「どのように見られているのか」その一点だけを見ていた。

何度、諦めたのか分からなかった。その内に足も遠のいていった。
そもそも私には覚悟がないんだろうと、詩を読んでは、内容に自身を無理やり当て嵌めて考えていた。
けれど、もう踏み込もうと思って、少しずつ馴らすことに決めた。
何も知らない私には、「どこが一番ショックが少ないか」なんて分かるわけがなかった。

2年前の私が戻ってきていた。ちょうど、2年前の夏のこと。
違うのは、私以外の人間が、私の記憶が、そこにあった。ということだけ。

結局のところ私は素材なのだし、「どれくらいツラかったか分かる?」と問われる立場でもあった。
そもそも、もとからそういう世界なのかもしれないから、慣れる方が賢明かもしれなかった。
だけど、私はいいけど、巻き込んでしまっただろう人たちが居るから。
ツラさも、感情の居場所の有無で随分変わるかもしれない。
そう思って、「安息を」を創ることにしました。