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〈アニミタス〉より、風鈴についての認識と語圏による印象

アニミタスとは

アニミタスというのはチリの人々が死者の霊を祀るために路傍に置く小さな祭壇。

のっけからなんの記事だ!?って感じになってしまいましたが、

ルイ・ヴィトンエスパスのクリスクリスチャン・ボルタンスキーの展示に行ってきたので感想を書きたいと思います。

展示されていたのは、
《アニミタス(ささやきの森)》
《アニミタス(死せる母たち)》

の2点とボルタンスキー氏と芸術批評家?的な人との対談ムービー。(2.30分は見たけど1時間近くあったので途中で断念、、。)

この展示では、独立した作品というよりは巨大な壁(プロジェクターで映像が投影されている)の間からそれぞれを鑑賞する形で、
地面に草花の絨毯が敷き詰められており、
全体の空間をインスタレーションとして楽しめるもの。

《アニミタス(ささやきの森)》

こちらは日本の豊島で2016年に再現されたインスタレーション。

他の作品に関しても構造としては同じで、アニミタスへのオマージュとして広大な野外に300個の風鈴からなる作品。しかしその土地の風土・環境によって異なった様相を呈するといった感じ。

この300個の風鈴はボルタンスキー氏が誕生し日に南半球で見られた星空をなぞるように設置されていて、映像は日の出から日没までをワンカットで連続撮影されたものだそう。

この豊島での再現は、まさに日本らしいものだった、鬱蒼と茂る木から木漏れ日が落ちセミがひっきりなしに鳴いている中、風鈴の音が響く。涼しさを感じるとともに物悲しい感情になった。

私が行ったのが15:00〜16:00の間だったので夜になるとどんな音色が聞けるか、、。死者を祀るとという表現に加えて、人間にとって普遍的な時間を楽しむことができる作品だと感じる。

《アニミタス(死せる母たち)》

こちらはイスラエルの死海のほとりで再現された作品。海のほとりであるにもかかわらずあまり風が吹いていないようで、先ほどのものとは変わって一つ一つの風鈴の音が等間隔で聞こえてくる。何故だかより厳かな気分にさせられた。

とても雰囲気のある空間で、(見ているのは映像ですが、、笑)サカナクションの『多分、風』のPVのよう。

ただの感想になりますが以下自分が感じたこと、疑問を述べていきます。

鑑賞者として感じたこと

正しい認識は一体どこにあるんだろう?

空間に入ってからの鑑賞の流れとして壁に記載された作品についての説明がまず飛び込んできます。

アニミタスがなんたるかを知った上で見るため、魂を呼び起こすといういわれのある風鈴を用いて誰かの死を悼んでいるのだと考えることができますが、純粋に作品を見ただけでは「全く分からないな」というのが抱いた印象でした。

アニミタスとググってもその祭壇の実物の画像は出てこず、ボルタンスキー氏の作品の画像しか出て来ませんでした。

実物のアニミタスを見ることなく初めてボルタンスキー氏の作品を見ることで、それがアニミタスとして認識されてしまい、とうに実物のアニミタスは見ることが無いという皮肉を経験しました。

特異すぎるものについては、コピーの集積しかそこにはなく、AIが人間の経験を越えることがあるのか?とかシンギュラリティの問題について考えさせられました。

日本語圏以外の方はこの作品をどう見る?

風鈴のようなものは万国共通であるはずはないだろうし、

・魂を呼び起こす

・魔除け

などの言われは日本特有のものであり、幼い頃から風鈴の音や映像作品などを見て、日本人ならば「涼しい」、「心地いい」という心象を得られるかもしれませんが、日本語圏以外の方は「軽やか」、「やかましい」と思われるのではないかと………。

これも認識の問題なので誰もがそう感じるとは日本人に限っても言えることではないかもしれませんが、アニミタスの実物も分からず、風鈴というものが別段根付いていない国の方はどんな風に鑑賞するのか?というのが非常に気になった部分でした。タイトルにもある通り、日本語圏以外の方で行った方は教えていただけると幸いです。

Webを調べてみると南の島の方には貝殻で出来た風鈴があるらしく、どこの国なのかすごく調べたいです。(こちらも知っている方いたら是非!)

ボルタンスキーの言葉を聞いて

映像でも少し述べていましたが下記ボルタンスキー氏の引用です。

人々の心に触れたいと思って作品を創っている。答えのない問いを問いかけたい。何かを掴むのではなく、何かを感じて欲しい。世の中には理解できないことがたくさんある。扉が閉じられている。一人ひとりの人間は自分がいる場所でその開かない扉を探している。正しい鍵を見つけられる人は誰もいないけど、鍵を見つけることじゃなくて探すことが大事。不在、消滅には抗えない。その場所に行くと亡くなった人に想いを馳せることができるように、行きにくいところに作品を創っている。行くまでの工程に意味がある。

なんとも含蓄のある言葉………。でも感じるままに答えを探す必要はなく、対話をしていくことで鍵を探していくことが大事なんだと言っているようでなんだかホッとしました。

ボルタンスキー氏は作品は自分自身であるとともに自分自身ではなく、アウトプットされたと同時に鑑賞者それぞれの記憶を掘り起こし、それぞれの作品となるというようなこともおっしゃっていました。

問いを立てて考えることの重要さを改めて遥か頭上からストーンと諭されたような気分になりました。

エスパスルイヴィトンの展示は時間を経ていくごとによって草花も様子を変えていくので、より「いま、ここ」という時間の大切さを感じられるのではないかと思います。

無料なので皆さんも是非!!

国立新美術館の方も熱が冷めないうちに足を運ぼうと思います。

下記エスパスでの展示期間を記載します。

CHRISTIAN BOLTANSKI - ANIMITAS II    JUNE 13 - NOVENBER 17.2019                            http://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/              

#アート #フランス #クリスチャンボルタンスキー #表参道 #ルイヴィトン #アニミタス #認識論 #シンギュラリティ




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