スキマバイトのスキマにあったもの
スマホのアプリを開いて愕然とした。
この2ヶ月弱で「獲得した報酬」が、10万にも満たなかったからだ。
「けっこう働いたつもりだったんだけどなぁ……」
獲得した報酬総額は80,788円。
平均4時間程度で計15日間の勤務。
よく考えてみれば、そりゃぁそんなもんである。
ちゃんと時給は1,200円くらいもらってるし、交通費だって出してもらってる。
だけど、せめて10万くらいはいっているかと思っていた。
そうか、お金を稼ぐのってこんなにも大変だったのか!!
学業や子育ての合間に働いているに学生や主婦のみなさん、その他諸々のみなさん。本当にエライんだなぁ。
少しでも生活や家計を支えようと、日々地道にがんばっているのだ。
仕事のオファーがパタリとなくなり、見事無職となったフリーランスの41歳は、昨今話題の「スキマバイト」というものを始めてみた。
考えることはあれこれとある。けれど、やることはない。
いや、やるべきことはいろいろあるし、やりたかったこともたくさんあって。「今」でしかできないことも、たくさんあるはずだ。
この十何年か忙しく仕事をしている中で、ときどきふと
「あ〜久々にアルバイトでもしたいな〜!」
と思うことがあった。
アルバイトも、いつかもう一度やってみたいことのひとつだった。
ならば、今こそやってみようじゃないか! と。
貴重な暇を持て余し、どうせ昼すぎまでグダグダと寝てよくわからない1日を過ごしてしまうのだから、だったら午前中にちゃんと起きて、少しでもお金になればラッキーだ。
昼過ぎに上がれば、午後をきっと有意義に過ごすことができる。
一石で何鳥にもなるだろう。
そんなわけで、2ヶ月ほど前にスキマバイトのアプリに登録をしてみた。
ネコだか犬だか、クマか、鳥か。よくわからないが、最近TVCMなどでよく見かける黄色いマスコットのやつだ。
飲食店やコンビニエンスストア、スーパーにイベントのスタッフなど、アプリ内では日々さまざまな仕事が募集されている。
その中から、勤務先から提示された条件と、日程と場所で自分の都合に合うものを選び、応募するという流れだ。
なかには介護士や保育士、美容師といった、一定の資格が必要な職種まであるのには驚いた。
アプリに登録さえしておけば、逐一履歴書を提出したり面接をする必要もない。
なんと便利な世の中になったものだなぁ。
固定で従業員を雇うよりも、必要なときにだけピンポイントで働いてもらえるほうが、企業としても余計な人件費がかからず都合がいいのだろう。
比較的条件のハードルが低い飲食店のホールスタッフは人気のようで、募集が公開されて1分ほどで埋まってしまうものもある。なかなかの争奪戦だ。
なんとか、よく使う駅にある和食屋さんでのホールスタッフの仕事を獲得し、ランチ営業の時間帯に働くことになった。
10時から14時までの4時間勤務。
「ホール経験者必須」という条件付きだが、私は学生時代に、居酒屋、フードコート、カフェ、ビアガーデン、タイ料理屋、結婚式場の配膳などなど、さまざまな飲食店でホールバイトを経験してきた。
長年のブランクはあるものの、なんとかいけるだろう!
きっと大丈夫だ!
最後にアルバイトをしたのが24歳のときだったから、かれこれ17年ぶりの挑戦となる。
ちょっとワクワクするではないか!!
学芸会前夜の小学生のように、緊張と高揚感がいい感じにミックスされた心持ちで、私は初出勤の前日の夜を過ごしていた。
持ち物も万全。きっと大丈夫だ!
すると22時ごろ、翌日お世話になる和食屋の店長らしき男性から電話がかかってきた。明日はよろしくお願いします〜的な会話をした後に、こう言われた。
「アルバイトが17年ぶりということなんですが……、あのぉ、大丈夫なんですかね……?」
“あなたは大丈夫なのかーー?”
シンプルで実直なこの問いかけに、私は大いに戸惑った。
「だだだ、ダイジョウブ……だとは思うんですけどぉ……かなり昔ですが、いろいろホールの仕事もしてきているんで……」
よーし頑張るぞ! と意気込んでいる最中に、なんでこんな質問をするんだよ、と心がぐにゃっとなったが、無理はない。
これまで何をしてきたかも不明な謎の41の女が、突然自分の店にアルバイトでやってくるわけだ。
そりゃあ不安にもなるだろう。
とりあえず、明日はよろしくお願いします〜的な会話で電話は終わった。
電話を切った後、負の感情がドドドーっと大きな波のように押し寄せた。
目の前の景色が、一気に暗くどんよりと濁った。
私、本当に“大丈夫”なのだろうかーー?
フリーランスの仕事が途絶えた今、ここでもまた必要とされない人間だとみなされるのは結構キツい。
仕事がぱったりと来なくなり、「お前はもう用なしだ」と言われているような気がして。
さらに追い討ちをかけるように、「お前がやってきた飲食店でのアルバイトは過去の話だ、お前はもうアルバイトすらロクにできない」なんて突きつけられたら、さすがにメンタル強めな私の心もポキッと折れてしまう。
「ホールのバイトならなんとかなる!」と自負してワクワクしていた私も、突然の電話で不安な気持ちが込み上げ、涙が出そうになった。
私、本当に“大丈夫”なのだろうかーー?
翌朝私はちゃんと起き、十何年ぶりかに“身だしなみ”というものを意識して髪やメイクを整え、出勤時間の10分以上前に店に着いた。
ドキドキした。
アプリのマニュアルどおりに、きちんと挨拶をするーー。
結果から言うと、私は“大丈夫”だった。
むしろ、なかなかの活躍っぷりだった。
これを出したら次はこれを出して、その後はこれを聞く! みたいなお店の決められた流れも、すぐに覚えることができたし、ちゃんとホール仕事の感覚も残っていた。
トレイも安定して持てたし、これ以上お皿を積んだらアウト! みたいな察知だってできた。
やることが多すぎて常にパニック状態の編集者の仕事を経て、私は頭も心もたくましくなっていたのだ!
店長らしき男性に多少理不尽なことを言われたって、めげない、動揺しない、へこたれない!!
だって編集者の仕事は理不尽なことだらけだったからー!!
こんなもん屁でもないぜ!
自分の成長ぶりに泣けてくる。
歳をとったぶん、確実に人間レベルはアップしている。
私の生きてきた日々は確かな価値となっている!!
そう確信した。
だけど、気を抜いてはいけない。
お調子者気質の私は、気を抜くとすぐにヘマをする。
41年生きてきたから、学生時代よりも自分のことはよく理解しているのだ。
「慎重に、慎重に。ミスするくらいなら慎重に……」
これまで41年間の人生で得た教訓を念仏のように心の中でブツブツと唱えながら、なんとか無事にその日の仕事を終えた。
「すぐにこんなに覚えられてすごいですね」と、アルバイトの若い女の子に褒められた。
「いやぁ、今日は助かりました。やっぱり若い方よりも落ち着きがありますねぇ」と、店長らしき男性に言われた。
帰り際に、「ぜひまた来てくださいね。よかったらウチは社員登用もやってるんで! ぜひ!」と店長らしき男性が言った。
店の外に出ると、気だるい街の暑さと程よい疲労感がとても心地よかった。
そしてなによりも、「自分は“大丈夫”だったんだ」という事実が嬉しかった。
その後も寿司屋や蕎麦屋、定食屋と、いろいろなスキマバイトに挑戦したが、どこへ行っても私は“大丈夫”だった。
ちょっとだけ心が満たされホッとしながら、バイト先の近くにある台湾料理屋で少し遅めのランチにルーローハンを食べた。
およそ1時間分のバイト代が一瞬で消えた。
そうか、お金を稼ぐのってこんなにも大変だったのか!!
そうか、そうだよね。お金を稼ぐのって、すごくすごく大変なんだよね。
思い返すと、大学生時代の私は月に15万くらいをアルバイトで稼いでいた。
学校に行って部活もやりながら、よくもまぁそんに稼いでいたもんだ。
当時の自分をつくづく尊敬する。
昼間は大学の授業に出て、それが週末なら17時から翌朝の5時まで居酒屋でアルバイト。そのまま家に帰って風呂だけ入り、そのまま寝ないで部活に行ったりもしていた。
今じゃとても考えられない。
たった4時間でクタクタ。外反母趾が年々ひどくなってきているので、足も痛い。
いや、今だってやろうと思えばできるはずだ。
現に少し前までは、フリーランスで恐ろしいほどに徹夜仕事を続けてきた。
だけどこの年齢になると、「あぁ自分もう41だしなぁ」とか、「41にもなってこんなに動けないよぉ」とか、「41だしやっぱちゃんと夜は寝たほうがいいよねぇ」とか、「40すぎると急に体力落ちるっていうしなぁ」などなど、つい余計なことを考えてしまう。
もしも“自分は20歳だ”という催眠術をかけられたなら、きっと学生時代のようにモリモリと働くと思う。
要は気持ちの問題なのだ。
おまけにタチが悪いことに、「これって本業じゃないしなぁ」とか、「いつ本業の仕事の依頼がくるかわかんないしなぁ」とか、「これまで睡眠時間削りまくって働きまくってきたんだから、今くらいダラダラしたっていいよねぇ」とか、「このバイト1本やったって今までの月収のウン分のイチにしかならないしなぁ」なんてことまで考え出す。
まったく、41歳の思考回路は困ったもんだ。
昔はお金はもらえるだけでありがたいと思っていて、数万でうかれていたバイト代も、今じゃ10万に満たないという現実だけでガックシする。
歳をとったらそりゃぁ見た目は変わるし衰える。
体力も実際のところ、劣ってきているのだろう。
そんなことは仕方ない。
だけど、心まで老け込まないようにしなくては、と。
そんなことを考えながら、私はルーローハン1杯の重みを噛み締めた。
スキマバイトのスキマにあったもの。
お金を稼ぐことの大変さと、自分の年齢の実感。
まだまだ衰えてないぜ! っていうささやかな自信と、これまでやってきた仕事への誇り。
学生時代の懐古と、日々コツコツと働いているみなさんへの尊敬。
相も変わらずダラダラしてしまう自分の怠惰な性格と、それでも確実に備わっていた社会人としてのマナー。
見た目や体力以上に衰えつつある自分の心。
そして、自分がこれまで受けてきた仕事のありがたさ。
並べてみるとキリがない。
まるでソファの間に長年入り込んでいたお菓子みたい。
まるで洗濯機の裏に長年放置されていた靴下みたいに、
久しぶりに出会えた感情や、気づかないで見落としていたことがたくさん落ちていた。
うーん。うまい例えが見つからないや。
自分の語彙力や発想力のなさにガックシしながら、私は今日も黄色いマスコットのアプリを開く。
さて、次はどこでアルバイトをしようかな。
自分の都合に合った募集を眺める。
そんな「今」も、なかなか悪くはない気がする。