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「言語化する」それがいまの私の目標です。

新しい時代に直面し、普通や常識って何?何が正解で何が不正解なのか、なかなか想定しずらい世の中でいかに許すこと、認めること、受け入れること、常識や概念に捉われず、自由で寛容であることが正解への近道なのではないかと思います。

新しい日常ならぬ、新しい非日常を創造していきたい。

withコロナの日常は不便なこと、不安なこと、手間のかかることが多い中、このタイミングならではの出会いや気づき、そしてチャンスもたくさん。

今まで見えなかったたくさんの景色が生まれているような気さえする。

そのひとつとして”言葉を綴ることの大切さ”を実感しています。

大きな例として、コロナ以前はSNSにネガティブなことを書くとか、感情をさらけ出すとかあまり好まれず、綺麗な部分を切り取って投稿するのがいいみたいな風潮があったけれど、ここ最近は自分の感情を想いのままに書いて、表現している人が多い気がする。

本当の自分は実はこういう人間で、こんなことを考えながら生きてて、だけどそれをなかなか人に言えなくて言語化するのを避けてしまって、見て見ぬ振りをしていく内にその時の感情すら忘れちゃってたみたいなことって誰しもあると思う。

わたしは特にいま、仕事以外で人と会う機会が減ってしまって意見交換する相手がいないのも事実ある(旦那さん以外と)。

周りの人たちはSNSをあまりやらない人が多くて情報が入ってこないっていうのもあるからなのか、友だちとお酒を飲みながら語り合う、みたいな当たり前のようで当たり前ではなくなってしまったこのコロナ禍において虚しさと寂しさで落ち込むこともある。

みんな、げんきにしてる?

人と繋がる方法なんてこんな便利な世の中になったんだからたくさんあるはずなのに、やっぱり直接会って話してくだらないことで笑い合ったり、時には真剣な話をしたり。

そんな普通だったこといけないことをしているみたいになってしまったよね。

ただ、落ち込んでたって時間は進んでいってしまうのも分かってる。これまでの人生、これでもかってくらい色んなことで悩んできた。

だからいまの感情を見て見ぬ振りして記録しておかないのがもったいない気がして、せっかくなら残しておこうと決めた。

人と直接会うことがあまり前向きに捉えられなくなってしまったこの夏。

群馬のおばあちゃん家にも行けなくなってしまったし、連休のたっぷりある時間を使って普段書かない手紙を書いて送ってみよう◎

このnoteにはいまの感情を忘れないように記録として残しつつ、きっといつか笑い話しとして話せる日が来ると信じて。

思うがままに、そして気まぐれに更新していこうと思うので良かったらまた遊びに来てください。

saya

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