さやもゆ読書会ノート・ビブリオバトル参戦記2024.10/26 さやのもゆ
ー掛川市立図書館フェスティバルー
掛川ほんわかブッククラブ・ビブリオバトル
2024年10月26日(土)13時30分~15時00分 於:掛川中央図書館 会議室
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📕はじめにー司会あいさつ
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖今月の「掛川ほんわかブッククラブ読書会」は、図書館フェスティバルの企画としまして、『ビブリオバトル』を開催したいと思います。今日は、急遽(きゅうきょ)バトラーをお願いする方も居たりなんかして、バタバタなんですけど・・バトラーの皆さん、登壇に名乗りを挙げて下さって、ありがとうございました。
実はまだ、順番が決まっておりませんのでー
今から公開ジャンケンで決めたいと思います。
と、いうわけでーバトラーの方たちは、前に集まってください。
(5人のバトラーが、ジャンケン・ポン!)
それでは、ジャンケンに勝った人からお願いします。
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📕 バトラー・テキスト(発表順)
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①『夏の災厄』
篠田節子/著 (角川文庫 2015)
②『リボルバー』
原田マハ/著 (幻冬舎 2021)
③『そこのみにて光輝く』
佐藤泰志/著 (河出文庫 1989)
④『百年の孤独』
ガフリエル・ガルシア=マルケス/著
(新潮文庫 2024)
⑤『深夜特急』1~6巻
沢木耕太郎/著(新潮文庫 2020)
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📕バトルトークの前にー
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はじめに、ビブリオバトルのルールを簡単に説明します。
皆さんのお手元の封筒に、バトラー5名分の記入メモが入っていますので、ご確認ください。
ルールとして、各バトラーのお話を聴いていただき、その後でちょっとした質問タイムを設けます。
バトラーの皆さんには、4分と5分の時点でベルを(チン!)鳴らしてお知らせします。
お話が途中の場合は、そのまま最後まで続けてください。
その間、お手元のメモ用紙にトークの感想やテキストに対して興味を持った点などを、どんな形でも良いので、お書き下さい。
バトラー全員のトークをお聴きになった時点で、最終的に「よし、コレを一番読みたくなったゾ」と、思う本を1冊だけ(記入メモにて)投票していただきます。
それでは、①番目のバトラーさん、準備はよろしいですか?お願いします。
(5名のバトラーによるビブリオバトル、スタート。)
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①番目のバトラー Y・Mさん
📕推し本 『夏の災厄』篠田節子/著
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私がご紹介する本は、2015年に角川文庫より出版されました、篠田節子(しのだ・せつこ)作『夏の災厄(さいやく)』という、フィクション小説です。
舞台は、1989年。
日本から西南に5600キロも離れたところ、インドネシア諸島に浮かぶ、ブンギ島にはじまります。
ブンギ島は、訪れる観光客も無い小さな火山島で、人口400人ほどの住民が、昔ながらの生活を営んでいました。
ところが、ある時を境に奇妙な病気が流行し始めて、人々は激しい頭痛と高熱、嘔吐の症状に苦しみます。
病は急激に悪化して、体がのけ反るほどの痙攣(けいれん)を繰り返しながら、大人も子供も次々に死んでいきました。
島民は確実に減りつづけて、最後の生き残りはプスパ、という名の若い女性、ただひとりになります。
彼女もまた、ひどく衰弱しており、眩(まぶ)しさを堪(こら)えながら水汲みに行くのですがー途中で力尽きて絶命(ぜつめい)し、ついに島の人口は「ゼロ」になりました。
ここで物語は本題に入り、舞台は5年後の1993年冬、埼玉県昭川市(あきがわし・架空の地)に移っていきます。
昭川市は人口8万6千人。首都圏から50キロほどの山あいに位置する、都心のベッドタウンであり、農業や林業を中心とした、小さな地方都市です。
年が明けて1994年の春、この昭川市を突然のように襲ったのはー正体不明の死の病(やまい)でした。
市内の医療機関に駆け込んだ患者は、激しい頭痛や高熱、吐き気などの症状を訴えて、重症化すると首の筋肉の硬直や痙攣が始まります。
診察した医師は、現代ではほとんど無くなったはずの「日本脳炎」と診断しました。
しかし、患者がまぼろしの匂いを嗅いだり、光を異様に眩(まぶ)しがるなど、日本脳炎には見られない症状を起こすことに、違和感を強めていくのでした。
また、感染者が市内でも特定の地区の住民に集中、特有の感染経路を持ち、発病時期も日本脳炎より三ヶ月以上も早いなど、明らかな違いがあることから、しだいに未知の脳炎の発生を疑い始めます。
そして、これが後にー日本脳炎とは似て非なる感染症ー『新型脳炎』であることが断定されたのでした。
この、恐ろしいウイルスの最大の特徴は、感染から発病までの潜伏(せんぷく)期間が日本脳炎より極端に短く、言うなれば“感染イコール発病”状態。
発病したら最後、痙攣(けいれん)や意識障害を起こすなど急激に重症化していき、死亡率が非常に高いことです。
感染者が、発病からわずか数日後に死亡するケースが続出。
仮に命を取り留めたとしても、手足の麻痺(まひ)や言語障害など、重い後遺症に苦しむことになるのです。
行政はまず、ウイルスの媒介(ばいかい)が疑われる豚の抗体(こうたい)検査、蚊や鳥の駆除に消毒、はては河川のコンクリート工事にまで乗り出しますが、大した効果は得られませんでした。
治療にも有効な特効薬はなく、対症療法しかありません。
市の保健センターでは、
「日本脳炎ワクチンの集団接種で免疫をつける以外に解決策は無い」という結論にいたります。
ー何としても、昭川市民全員にワクチンを接種したいー。
現場の最前線に立つ、保健センター職員の悪戦苦闘はつづきます。
しかし、その間にもウイルスの猛威は止まず、死者は増えるばかりでした。
そして、ようやく8月に緊急集団接種の実施を決定するまでは漕ぎ着けたのですがー。
接種の開始日が、あと12日後に迫った日のことです。
「新型脳炎ウイルスに対して、従来の日本脳炎ワクチンの接種では、未接種よりは発症を抑制するものの、予防効果は期待できない」
ーとする、厚生省の見解が通知されてしまいました。
しかし、そこまで追い詰められてもなお、諦めないのが、この昭川市民。
本書の主役は、いわゆる行政のトップとか、お役所のエライさん、じゃなくてー。
現場の最前線で、命を守ろうと奮闘する医療スタッフや、市民の声を直接に聞きながら激務に奔走する、保健センターの職員です。
彼らを中心に連携(れんけい)をとり、新型脳炎の発生源をめぐる、かくされた真実に迫っていくのでした。
冒頭に登場した、インドネシアのブンギ島と昭川市の大学病院、そして民間の衛生会社。
これまで重要なキーポイントと目(もく)されながら、繋がりが見えなかったこれらの要素が、昭川市に新型脳炎ウイルスが発生するまでの、ひとつの過程につながったのです。
ついに彼らは、新型脳炎に予防効果のある次世代ワクチンがすでに開発されており、現在インドネシアで製造されていることを突き止めました。
昭川市では新型脳炎の発生によって市民の健康だけでなく、人々の間に分断を生み、社会問題にまで発展しました。
また、閉塞的な生活を強いられた中で、犯罪や自殺者も増えて行き、市の財政も含めたすべてにおいて、疲弊(ひへい)しきっていたのです。
これら諸悪の根源ーすなわち新型脳炎を終息させるための、唯一の手段となったのがーこの「外国製次世代ワクチン」なのですがー。
あと一歩という所で〝厚生省のワクチン承認〟という、大きな壁が立ちはだかります。
新型脳炎が本格的に流行すると予想される、秋の始め、9月はすぐそこまで迫っていました。
もはや、一刻の猶予もならない、崖っぷちの昭川市。
ここで地方のイチ小都市の市民たちは、結集して最後の戦いに打って出ます。
それは、権威の前には小さな力でありながら、やがて世論を動かす、大きな力となっていくのですがー。
果たして、すべての昭川市民に救いの手は差しのべられるのでしょうか?
と、ここまで本書『夏の災厄』のあらすじをお話しましたがー。
私としてはやはり、つい最近まで4年間、その渦中に身を置いていた新型コロナ・パンデミックに言及しないわけには行きません。
ところで、新型コロナウイルスによる最初の感染者が確認されたのは、2019年の12月下旬でしたが、本書「夏の災厄」の初版が発行されたのは何と、新型コロナパンデミックを遡る(さかのぼる)こと25年の、1995年(平成7年)なのです。
驚くべきことに、この小説には新型「脳炎」ウイルスのパンデミックが描かれているにも関わらず、現実に起きた〝新型コロナウイルスの感染拡大〟ーいわゆる〝コロナ禍〟に関連した出来事と重なる部分が、多々あるんですね。
「夏の災厄」には、作者の深い洞察と重大なメッセージが込められているのです。
舞台となった、埼玉県昭川市が登場する最初の場面では、小学校のインフルエンザ予防接種に反対する親が学校に押し掛けてきて、接種をしていた医師に激怒されるのですがー。
その時の辰巳秋水(たつみしゅうすい)、という大学病院の老医師の言葉が、何とも象徴的でした。
『どいつもこいつも、ワクチンの有りがたみを忘れておる。
ほんの少し前までは日本でも、子供が、年寄りが、若者が、インフルエンザでばたばた死んでいた。
だれもが忘れておるのだ。あまりに豊かになりすぎて、平和ボケして、何もしなくても病気になどかからん、と思っておる。
我々が、命がけで病原体を扱って作り出したワクチンを接種してもらい、病気にかからなくなると、針の穴ほどの事を挙げつらい、騒ぎだす。たかが一千万人に一人死ぬかどうかの問題だ。死ぬべくして死ぬ者が死ぬだけだ』
『一度、疫病に見舞われてみれば、わかるのだ。
病院が一杯になって、みんな家で息を引き取る。感染を嫌う家族から追い出された年寄りたちは、路上で死ぬ。
知っておるか、ウイルスを叩く薬なんかありゃせんのだ。対症療法か、さもなければあらかじめ免疫をつけておくしかない。
たまたま、ここ七十年ほど、疫病らしい疫病がなかっただけだ。
愚か者の頭上に、まもなく災いが降りかかる・・半年か、一年か、あるいは三年先か。
そう遠くない未来だ。そのときになって慌てたって遅い』(本文28~29頁より抜粋)
作者は、この辰巳医師の言葉をかりて、本書を手にするであろう読者に、いつの日か訪れるパンデミックの到来を警告していたのでしょう。
そして、パンデミックを引き起こすウイルスは、過去の歴史のなかに忽然(こつぜん)と現れて猛威をふるい、消滅していったのではなくー。
場所や形を変えながら、時を越えて遺伝と変異を繰り返す、繋がった生命体であることを踏まえておくべきだ、というひとつの示唆をも感じました。
私は、もっと早くに本書を読んでいればと、後悔しましたが、コロナ禍を経験した今だからこそ、充実した読書になったと思います。
また、本書はパンデミックという、人命に関わる重いテーマでありながら、緊迫感のある謎解きミステリーとしても、存分に読ませる構成でした。
夏の災厄を読み終えた今、本書のように590ページに渡る長編で終始、読者を惹き付けて止まないというのは並大抵のことではないと、いたく感服しました。
大変長くなりましたが、以上で私のオススメ本「夏の災厄」トークを終了いたします。
ご清聴ありがとうございました。
ーおつかれさまでした。
タイムは、異例の13分です。皆さん、質問等はいかがでしょうか?
ではー②番目のバトラーさん、お願いします。
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②番目のバトラー S・Sさん
📕推し本 『リボルバー』原田マハ/著
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皆さん、初めまして。
市内某N 町から参りました、S・Sと申します。
今日ご紹介するのは、『リボルバー』という作品で、作者は原田マハさん。
画家であるゴッホとゴーギャンの関係を、歴史的な史実に基づいて、地位刻々(ちい・こくこく)と描いた小説です。
皆さんが、このふたりの画家をめぐる史実についてご存知かは分かりませんが、作者の原田マハさんは学芸員の経歴をお持ちでいらっしゃる事もあり、美術に関しては非常に精通されているんですね。
物語としましては、フランス・パリのオークション会社で働いている“高遠冴(たかとお・さえ)”という主人公女性のもとに、錆(さ)び付いた一丁のリボルバーがオークション出品に持ち込まれる、という場面から始まります。
それで皆さん、ゴッホとゴーギャンの関係や、ゴッホの死因についてはご承知でしょうかー。
この“錆び付いたリボルバー”、いわゆる「拳銃」というのは、オークションに持ち込んだ人物によれば、正にゴッホが、これでお腹を撃って自殺したという「逸品」であるというのです。
そこから、物語が展開していくのですがー。
主人公の冴さんは、ゴッホとゴーギャンの生涯に関する史実をたどり、ゆかりの場所を廻って(めぐって)行くのですがーその過程で数々のことが分かってくるんですね。
ー皆さんは「耳削(そ)ぎ事件」って、知っていますか?
耳削ぎ事件、というのはー南フランス・アルル地方で、ゴッホとゴーギャンが2ヶ月間、共に暮らしていた時の出来事です。
ある日、ゴーギャンがゴッホから、去っていくんですね。
その時にゴッホは、「行ってはいけない!」と言ってー自らの左耳を切り落としてしまったのでした。
主人公・冴さんは、そうした史実も含めた“時代”のなかに、スーッと入り込んで行くんですよね。
そうすることで、色んな場所ーゴッホとゴーギャンが同居した所とかー探っていくわけです。
あと、僕が感銘をうけたのはーそのような史実に基づいた物語を読んでいる、まさにその時にーすぐそこに登場人物がいるかのような、錯覚をおぼえたこと。
あたかも、一緒に探索しているかのような感覚でした。
そこで、「あぁ、そうだった。史実ではゴッホがお腹を撃って自殺したことになっているけれど、実は・・そうじゃなくてー」
話を戻しますとーゴッホが売れなかった時代、
弟のテオがゴッホの代わりに行商(ぎょうしょう)をするのですがー。
その弟に、ゴーギャンがちょっと下心、というか、悪意をもって近づくわけですね。
そうしたストーリーが終始、色濃く描かれているんです。
それで、最後は結論から言いますとー。
(ゴッホが自殺を図ったとされる)木の下から、もうひとつの“リボルバー”が見つかるんですね。
こうしてーもしかしたら、ゴッホが自分でお腹を撃ったのではなくて・・
という、新たな説が浮上するストーリーに展開していくのです。
そういった物語でしてー。
僕自身、書(しょ)や美術が好きで、そのような歴史的なモノっていうのはー本を熟読される方にも、あるいは読まれてない方が読んでも、グーッと引き込まれていくんじゃないかなぁ・・と、考えましてー。
この一冊、『リボルバー』を選びました。
ここで4分ですけど・・以上です。ありがとうございました。(拍手)
おつかれさまでした。質問等、いかがでしょうか? (挙手あり)
(Q)ゴッホは37年の生涯で、(弟などに宛てた)数多くの手紙を書き残していますがー作者の原田マハさんは、ゴッホの手紙をどのように扱ったのでしょうか?
本書の中で、ゴッホの死が「自殺」なのか、あるいはーと、いうような視点で説いているのには感心しましたがー。
ゴッホの手紙を他著で読む限りでは、そうした新説を思わせる記述が見当たらなかったと記憶しています。その辺については、いかがでしょうか?
(A)ゴッホの手紙については、逆にお訊きしたいくらいですが(笑)。
そうした(他説の)可能性については、最後に匂わせるんですよー読者に「匂わせて」選択権をあたえる、といいますか。
“マハ節”ですかね?「もしかしたらー」、という読ませ方が、スゴイ!
たしかに本を熟読されてる方の中には、
「コレは面白くない」という意見もあります。
だけど僕としては総体的に見て、歴史的な事実とか「ゴッホは何者なのか」「ゴーギャンは何者なのか」ーそして「耳削ぎ事件は、なぜ起こったか」という所までー自分がひとつの史実の中にグーッと引き込まれるんですね。
賛否両論あるかとは思いますがー僕はね、そこに感銘をうけて『原田マハさん、素敵!』と、なったわけです。
原田マハさんには、他に「楽園のバカンス」という、素晴らしい作品もあるんですけどーあえて、この『リボルバー』を選びました。
改めまして、ありがとうございました。(拍手)
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖③番目のバトラー H・Oさん
📕推し本 『そこのみにて光輝く』
佐藤泰志/著
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖
Oです。よろしくお願いします。
今回ご紹介しますのは「そこのみにて光輝く」、作者は佐藤泰志(やすし)さんです。
佐藤泰志さん、といいますとー5度にわたって芥川賞候補にノミネートされたのですが、一度も受賞することなく、41歳で自死した作家になります。
実は、当会「ほんわかブッククラブ」の代表・Kさんの大学時代の友人であり、Kさんに小説を書くことをすすめたというお話も伺っておりますがー。
ちなみに作家では、村上春樹と同年代です。
「そこのみにてー」のあらすじ、ですがー。
主人公の達夫(たつお)さん、という男性が仕事を辞めてパチンコ屋でブラブラしていた時に、拓児(たくじ)という同年代の30才くらいの男性と出会います。
そこで、達夫が拓児にライターをあげたことがキッカケになって二人は知り合い、達夫は拓児の家に付いていくんですね。
この拓児という人物は、過去に傷害事件をおこした前科者。
達夫は、舞台となる、海ぞいのひなびた所に建つバラックの家に連れて行かれます。
そこでは、拓児の家族ー姉の千夏(ちなつ)、認知症の父親、そして母親と拓児ー四人の家族がひっそりと生活していました。
ストーリーはその後、達夫と千夏が惹かれあい、最終的に達夫がプロポーズするという展開になって行くのですがー。
話の流れとしてはシンプルなんですけど、とにかく拓児の家庭の状況が、凄まじいんですね。
姉の千夏は、夜のスナックで働いていて、お客さんからお金を渡されるたびに、売春をする。
父親は、認知症の寝たきりで介護を要する状態ですがー性欲だけが強くて、大声で叫んだりします。で、その度に六十近い母親が、その父の性欲を介助するーそういう暮らしで。
とにかくもう、聞いているだけでイヤになるような場所で生活しているんです。
拓児さんはと言うとー過去に起こした傷害事件のために、まともな職に就けないでいる。
そこで高山植物、山の上に生えている珍しい植物なんかを取ってきて売る、という仕事をしています。
読んでいくとー皆、それぞれに行き場所がありません。
僕は本書を読みながら、何度も彼らの立場に立ってみては「どのようにしたら、この家の状況から逃れられるーあるいは、脱出できるのかな?」って、想像しながら読んだんですけどーどう読んでも逃れようのない、八方塞がりの状況としか思えなくて。
こういうストーリーって、何かーどっかで読んだ事あるな・・と、思ったらーレイモンド・カーヴァー(アメリカの作家・詩人1938~1988)が小説によく描いた世界と似ている事に気付いたんです。
どんな世界かと言いますとー。
「ひなびた町のなかで、限られた職業に従事しながら生活している人々」を、描いているんですね。
登場人物は、アルコール依存性だったり、離婚していたりーと、いわゆる人生に迷い続けている人たち。
世の中には、どんなに努力しても中々、這い上がれない場所って、本当にあるんですね。
我々には、ちょっと想像出来ないんですけどーそういう世界の話です。
ここで話を戻しますがー。
「そこのみにてー」では、拓児というひとりの人間が、本当は優しくて温かい人柄に描かれているんですね。
そもそもの話「ライターをもらった」というだけで達夫のことをイイ奴だと言い、「友達」だと思いこんでしまうような人です。
それに、実は姉の千夏のことを、スゴく心配している。
あと、高山植物を売って生活しているんですけど、それは商品として、ではなくてー本当に植物が好きなんですね。自分でも、ちょっと育てたりしていて。
とにかく人間味があってー孤独だけど、優しい人として描かれています。
この物語のなかで唯一、現状から脱出できそうな人が居るのですが、それは、主人公の達夫さん。
彼は一見、何とかなりそうなんだけど、よく読んでみるとー達夫もまた、行き場所を失くした人なんだと分かります。
達夫さんは造船所に勤めていたのですが、組織の板挟み(いたばさみ)にあい、どちらかに属することも出来なくて早期退職したーという人物設定。
その後も定職に就かないでブラブラしていたところを、パチンコ屋で拓児と出会ったわけです。
ここら辺りの人物像は、村上春樹の初期作品に登場するそれに、よく似ていますね。
ただ、異なる点もありましてー
村上春樹が、自分の内面に深く潜り込んでいく事で、作品の空間世界を広げている、といった感じなのに対してー佐藤泰志の場合は、ひとことで言うと「どん底に近い人間模様の物語」が描かれている。
そのように読めるかと思います。
この物語の登場人物に共通しているのはー悲しみとか苦しみ、矛盾(むじゅん)なんかを抱えているんだけどーそれでも生きて行く姿、なんですね。
僕自身、本書を読みながら感じていたのですがー。
これ等「そこのみにてー」の登場人物の生き様は、ウィリアム・フォークナー(アメリカの小説家、1897~1962)の小説で描く人物像に近いものがあるなって。
フォークナーの代表作のひとつ、「アブサロム、アブサロム!」(1936)という小説では、人々が「そこのみにてー」よりも、さらに絶望に近い場所にいるんですけどー。
それでも、力強く生きて行く人々の姿を描いています。
ここではサトペン、という名の人物が登場しますが、何もない田舎の村で犯罪まがいのことをしながら、自分たちの「国」を作ろうとするんですね。そのためには汚い手をつかい、奴隷(どれい)を使ってまでもー強引に事を運んで行きます。
そうして100平方マイルに及ぶ自分の大農園をドンドン開拓していき、貧しさから這い上がろうとする。
それは、凄まじいほどの野望でーもしかするとその野望は、破滅につながるのかもしれないけれどー恐ろしいまでの力強さ。
まわりを気にする事なく、まっしぐらに突き進んでいく、という小説です。
だからこの本を読むと、スゴく元気になっちゃって。栄養ドリンクを五本飲んだくらいの力が出てくるんですけど(笑)。
これに対し、佐藤泰志の描く世界の人々はフォークナーのそれにちょっと似ているんだけど、また違った生き方をしていてー。
言ってみれば、「幸福感」のようなものが示されているんですね。
人々というのはー悲しみとか苦しみを背負ってて、絶望すれすれのところに居るのだけどー。
海とか景色を眺めたり、泳いだりして。
時に、さわやかな幸福感を感じさせてくれる。
みんなは、決してあきらめてるわけじゃなくてー。何とかして「今」の状況から脱出しようとしてます。
透明な美しさ、というかー「悲しみ」、「さわやかさ」、あるいは「あきらめ」もー。
すべてが一緒くたに同居しているような、そういう世界です。
こういうのってストーリーだけじゃなくて、
「人々の描き方」というものを、僕たち読者もキチンと読んで行くべきだと思うんですね。
「生きるって、こういう事だよ」って、示してくれる。そうした、見るべきものが確かにあって。
優れた文学というのは、正にこのような事を、読者に示すことが出来るのかなと、思います。
フォークナーほどの力強さはなくともー。
これはこれで、本当に幸せだと感じさせてくれるじゃないかと、思うんですね。
みなさんには、本書を読んでいただきたいので、結末については、あまり言いませんがー。
物語のラストでは、主人公・達夫と拓児の姉・千夏が、結婚にたどり着こうとします。
しかし、最後のさいごで達夫はー千夏の衝撃的な姿を目にします。
何を目撃するのかは、ここでは言いません。
本書は、100ページほどの短い小説ですので、自分としては、読んでもらいたいと思いますから。
みなさんが「そこのみにて光輝く」を読み終えた時に、どのように感じるのか。
それは、良いことかーあるいは、悪いことなのか。
いろいろな思いが交錯(こうさく)するかと思いますが、感想などありましたら是非、聞いてみたいです。
僕はこの本を読み終えた時に、思い出した言葉がひとつ、ありましてー。
それは、彫刻家・荻原碌山(おぎわら・ろくざん)美術館の入り口のレンガ壁に金文字で書かれていた言葉です。
ーLOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY.ー
(愛することは芸術であり、もがく事こそが美しさである。)
それがパッと、思い浮かんだのでした。
本当に良い小説なので、ぜひ皆さんにも手に取って、読んでいただきたいです。
本書は1989年(河出文庫)、今から35年前に発表されましたが、日本語がーこれはすごい事だと思うんですけどーまったく、古びていないんですね。
何も、芥川賞をとった作品だけが、良い作品というのではありません。
世の中には「時の流れ」というものがあり、その中で、時を追って輝きを増していくものが、確かにあるんです。
『そこのみにて光輝く』ー僕は本書が、その最たる物だと思っています。
だから、皆さんにも感じ取ってほしい。
それに、もしこの会に入らなかったなら、絶対に本書と出会うことは無かったでしょう。
これには、不思議な縁のようなものを感じています。
ご清聴ありがとうございました。(拍手)
ご質問等、いかがでしょうか?(挙手あり)ーお席に座ったままで、大丈夫ですよ。
お願いします。
(Q)
おつかれさまでした。
お話を聴いて、ふと思ったのですがー今、テレビのニュースでは〝闇(やみ)バイト事件〟が社会問題になっています。
若者が、SNSを使って軽い気持ちで申し込んだところ、免許証を取り上げられて脅迫を受け、抜け出せなくなって犯罪を起こしてしまう、というもの。
その人たちの将来って、どうなんだろうと考えた時にー。
ただ今、ご紹介いただいた「そこのみにてー」には、今読んでも色褪せないものがあるとの事でした。
それをお聞きしましてーやはり、人間の性(さが)というものはーどんなに時代が変わっても、本質は変わらないのかなと。
つまりこの本には、今の若者にとって「救い」になるような「何か」が、あるのではないかと思ったのですがーその点については、いかがでしょうか?
(A)
ただいまのご質問ですが、実は僕も、全く同じ事を考えました。闇バイトとは絡(から)めなかったのですが、自分の今の生活を思い出すところが多くて。
結局、身の回りの道具(モノ)が変わっただけで、人の営(いとな)みは同じなのかなと、考えました。
だからこそー本書のように何十年前の小説であっても、心を打たれるものがあるんだなと、思いました。仰ることに、同感です。
(Q)
(推し本の)タイトルを見て、ビックリしたんてすけど・・
20年くらい前かな・・「そこのみにてー」の映画を観たという二十歳前後の女の子から、「ものすごく良かった!『絶対』観てください!」
と、強くすすめられました。
彼女は、こうも言いましたー「今までも、そうだし、たぶんこれからもー私にとって、一番良かったと思える映画です。」
ーと、力説していましたが、映画の方はご覧になったのでしょうか?
(A)
僕はまだ、映画の方は観ていないのですがーまた、どこかでぜひ、観たいと思います。
(Aに答えて)
実は私も、あれだけプッシュしてもらったのに、未だに観ていないんです(笑)。
今日のお話を聴いて、本も手に取ろうという気持ちになりました。
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖
④番目のバトラー M・Kさん
📕推し本 『百年の孤独』
G・ガルシア=マルケス/著
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私がご紹介しますのは、ガブリエル・ガルシア=マルケス(コロンビア、1927~2014)作、『百年の孤独』です。
思い起こせば本書は、今から50年前に読んでおりましてー。
その当時、マルケスを読むのが流行したというのもありますが、今は、読んだときの印象については、ほとんど記憶に残ってないんですね。
最近になって文庫化された(新潮文庫、2024年7月)ことを知り、もう一度読んでみようと思いました。
あと、今月(10月)10日にノーベル文学賞・受賞者が発表されましたが、本書の作者であるガブリエル・ガルシア=マルケスも、同賞を受賞(1982年)しています。
そうした理由で話題になっていたようですが、私はまったく知りませんでした(笑)。
で、今回のビブリオバトルを機会に読み直しまして「あぁあぁ、(こんな感じだったな)」と、なった次第です。
タイトルの「百年の孤独」って、何なのでしょか?
具体的にいえば〝一族の歴史〟なんですね。
この本はーとにかく、読むのが大変なんですよ。
何かと言うとー〝登場人物の名前〟です。
たとえば、『ホセ・アルカディオ・ブエンディア』という長い名前が、略してくれればいいのに(笑)しっかりフルネームで表記されたまま、最後まで延々と続くんですよ。
で、そのホセ・なんとかいう彼の家系が、実質的には四代にわたって続くのですが・・。
このような本書をなぜ、読もうと思ったのかと言いますと、最近評判になったというのもありますが、実はー私の勤めている施設に、作者のマルケスと同じ、コロンビア出身の利用者の方がいらっしゃるんですね。
その方のお母さん(ほとんど片言の日本語ですが)に、「コロンビアといえば、有名なものは何ですか?」と、聞いてみたんです。
すると「コーヒーだね。私の故郷の村でも、もうずっと作っているよ」と、スゴく自慢気に仰いました。
それと、他にはバナナが有名だと言ったのですがー「コロンビア・バナナ?あんまり聞かないんだけどなぁ」ーと、そんな調子で話しているうちに、思い出したんです。
「そう言えば、『百年の孤独』のなかで〝村にバナナ農園を誘致したら、村のありさまが変わって行った〟というシーンがあったな」と。
ここで、話を戻しますー。
「百年の孤独」には、何が描かれているのか?その事に思いを致すとき、「では、孤独の反語は何か」と、考えたのですーそれは、「愛」だと。
逆に言えば〝愛〟の反語が〝孤独〟であるとも捉えられる。
本書に登場する、ブエンディア一族。
長年にわたって営まれてきた、この家族はーやることが、とにかくムチャクチャなんですけど、それなりの家庭であり、ひとつの町を形作って行く。
そうした一族の営みが、長年に渡る歴史として描かれているんですね。
ただ、それはー私たち日本の家庭の中では、到底考えられないような出来事がーこの家庭、ブエンディア家では往々(おうおう)にして起こるわけです。
だけれどもー本書『百年の孤独』をひも解いてみると、そのひとつひとつが〝愛〟に裏打ちされた、家族のいとなみである事が分かってくるんですね。
登場人物(ブエンディア家)のなかで特にひどいのがー〝アウレリャノ〟という名の、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの二番目の息子。
彼は独立国の大佐になって、なんと17人の奥さんから17人の子供をもうけるんです。
ーしかも、それを受け入れていく家庭。
普通なら、とても考えられないんだけど・・。それがまた、楽しそうに描かれていたんですよね。
では、一体〝百年の孤独〟とは、何なのかー?
それは、百年にわたるブエンディア一族の歴史であると共にーやはり〝愛の歴史〟でもあったのかなという事を、思いました。
巻末の解説では、筒井康隆氏が次のように書いています。
「本書『百年の孤独』を読まれたかたは引き続きこの『族長の秋』もお読みいただきたいものである。いや。読むべきである。読まねばならぬ。読みなさい。読め。」
(『百年の孤独』新潮文庫2024、あとがき661頁より抜粋)
従いましてー『ぜひ、読め』と、いうことで・・『百年の孤独』を読んでいただきたいと思います。(拍手)
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⑤番目のバトラー M・Oさん
📕推し本 『深夜特急』(1~6巻)
沢木耕太郎/著
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私のオススメする本は、沢木耕太郎さんの『深夜特急』です。
この本は、ですねー1986年から1992年にかけて書かれました実録ノンフィクション。
著者である、沢木自身の旅の体験が詰まっていまして、〝バックパッカーのバイブル〟とも言われている本なんですよ。
その当時は、この本を読んだことが元で、何もかも放り出して旅に出掛け、「人生変わった」という人が非常に多かったというー大変危険な本でございます(笑)。
それで、本書の「深夜特急」というタイトルなんですがー。
実はコレ、トルコの刑務所に入れられた囚人(しゅうじん)が脱獄(だつごく)を決行する際に隠語で使った言葉『深夜特急(ミッドナイト・エクスプレス)に乗る』に絡(から)めてましてー。
沢木が旅で体験した〝日常からの脱出〟という事にも重ねているんですね。
で、著者が旅立ったキッカケというのは、いたって何気ないものでしてー。
『インドのデリーから、イギリスのロンドンまでーまぁ、間にちょっとドーバー海峡があるんですがーそこは全部、地続きになってるから、バスで移動できるんじゃないの?』
と、いうような思いつきから、旅を始めたんです。
日本を出発して、まずは香港→マカオ→タイ→ネパール(ここからユーラシア大陸を地続きに行く旅が始まります)。
西アジアから中東へーパキスタン→アフガニスタン、地中海沿岸をトルコに抜けて、ギリシャ→イタリア→フランス→スペイン→ポルトガル(北大西洋/ドーバー海峡を渡って)。
そして、最後はイギリスに到達するというーおよそ地球を半周するような旅になっています。
で、しょっぱなのマカオから、ですねー。
カジノに夢中になって全財産失うとか、インドで火葬を見物したりとか。
とにかくもう、ホントに〝事件〟というか、人との出会いが散りばめられています。
私自身もスゴい、旅行するんですけどー本書には、旅行する人にとっての「あっソレソレ、そうだよね」と、思えることがいっぱいあってー
「わかる!わかる!」と言いたくなる、そんな内容になってます。
で、私自身の体験なんですけども。
「深夜特急」(1巻/香港・マカオ)の中には、ホントにこれ、インドが出てきて、全部が「あるある」だったんです。
滞在的には一週間そこらの体験でしたがー当時日本を発ったのが、飛行機の到着時刻が遅い時間帯になる便だった事もありーインドのデリーに到着したのが、夜中の12時。
ご存知かと思いますが、夜のインドのデリーって、やっぱメチャクチャ危険で。
空港から市内に出るのに、どうしようかと思ったんですけどもー。
コレ見ると〝ふつうのタクシーでは危険。プリペイド・タクシー(空港と契約している)を使うのが一番ラクで安心〟という風に書いてあったんで、私もそれにして料金先払いでタクシーに乗ったんですね。
それで、しばらく走って市街に入ったところで、タクシーの運転手が「あ、そう言えばオマエのホテル、ちょっと何処だか分かんねぇや」って、言い出すんですよ。
で、「ここに旅行会社があるから聞いてみよう」という話になりました。
その旅行会社に入ると、やっぱりいろいろ薦め(すすめ)られるわけですねー「こんなパッケージあるけど?」とか言って。それがまた、ベラボーに高いし、私も自由に動き回りたいものですから「イヤ、イイですイイです!」って断るんだけども、色々話していくうちに「そういやぁオマエのホテル、リコンファーム(reconfirm、再確認)」したか?」って聞いてくるんですよ。これは本当に泊まるかどうかを確認するためのものなんですがー「いや、してないけど」と、答えると「オマエ、インドではそれ常識だぞ」って言われて。
私は(いや、そんなことは無いはずなんだけどなーと、思いつつ)言われるままに電話してみたんですね。で、怪しいなぁと思っていたら案の定、(ホテルに自分の名前を言ったところ)「オマエのホテルはナイ。満室だ」と、言われました。
(あぁ、なるほどな。コレは絶対、ウラで通じてると思ったので)「わかったよ」と、電話を切ったんです。
すると「どうだった?」って聞いてくるから、「大丈夫だったよ」と答えると(相手は分かってるから)、「そんなハズはナイ!」って(笑)。
そこで悶着(もんちゃく)になって、どうしようもないからーじゃあ(仕方ないか)、とその、旅行会社の薦めるホテルに行くんですけどもーやっぱりそこでも、悶着があるわけですよ。
その時すでに夜中の2時だったものですから、もういいや、と思い「じゃあ、ここ泊まるよ」って、なったんですけどー。
今度は〝(支払い済み)チケットよこせ〟と、要求してくる。
ですが、コレ渡すと絶対つぎの朝に〝金よこせ〟って言うんだろうなと思ってーそこでまたまた、悶着に。とうとう「オレ、もういいよ」って、飛び出しちゃったんです。
で、飛び出してはみたものの・・夜のデリーの街は真っ暗で、野良牛(のらうし)がいたり。
すると向こうから、長い棒を持った自警団の人達がやって来て「オマエ、ココアブナイゾ」って。確かに、ホントに危なそうだなって思い、ホテルに戻ったのですがーやっぱり、再々々悶着になるわけですね。
そしたら、タクシーの運転手が根負け(こんまけ)したのか「オマエ、連れてってやるわ」って、本来予約していたホテルに行ってくれたんですがーべつに、普通に泊まれちゃったんです(笑)。そんなのばっかりで。
このように、インドに着いたその日は〝勝った〟んですけど、翌日にはもう、ダマされました。高い列車のチケットを買わされたり、泊まる際にもひと悶着あったりとか。
そんなわけでもう、本書には非常に〝分かる、わかる〟っていうのが、いっぱい詰めこまれているんですよ。
それで著者・沢木はクライマックスー旅の一番最後、ですねー始めはそのままロンドンに行く予定だったんですけども「いや、ロンドンじゃないな」と。
そこで、ユーラシア大陸の西端にある〝ザクレス岬〟に行ってみようという事になりーここで彼は、旅の終わりを実感したのでした。
で、そのあと(消化試合なカンジで)ロンドンに戻るわけなんです。
ちなみに、このザクレス岬ってー非常に、何もないところでー崖(がけ)と海しかありません。
本書ですとザクレス岬ですけどー実はこれ、ドラマになってましてードラマだと〝ロカ岬〟になってます。
ロカ岬(Cabo da Roca,ポルトガル)にはまた、いい石碑があるんですよ。
そこには、大航海時代の詩人・カモンイスの叙事詩の一節『ここに陸終わり、海始まる』というーホントに最果てだなっていうような名文が刻まれています。
みなさんには是非、そこへ行ってみてもらいたいと思います。
最後(第6巻)は、著者・沢木がロンドンでゴールしてーじゃあ、これで終わりかな?と、思いきやーまだまだ旅がつづく、という感じで終わっています(まぁ、そこはちょっと是非、読んでいただきたいところですが・・)。
この本ー総じて旅に関心がある人、あるいは『ちょっと冒険してみたいな』と、思う人には是非とも、〝覚悟して〟読んでいただきたいと思います。
あのーぜひ・・・
『人生踏みハズして下さい(笑)』。
(拍手)
ありがとうございました。司会から質問させていただきますがー。
(Q)インド体験で、ご自身として何か変わった事などありましたら、お聞かせください。
(A)インドに行ってみて、「何でもアリかな」とは思いましたね。
例えば『○○○を拭いた手ぬぐいでスプーンを拭いた』、みたいな。
その点、頓着(とんじゃく)しなくなった、というのは確かに、あります。
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📕ーチャンプ本総選挙・開票結果発表ー
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以上をもちまして、ほんわかビブリオバトル・
バトラー5人の発表が終わりました。
ただいまより、5分間で記入メモをまとめていただきまして、もっとも読みたいと思う本・1冊を記入メモ用紙にて投票して下さい。残りの記入メモは、お手元の封筒に入れての提出をお願いします。
・・・・・・(開票タイム)・・・・・・・
5人のバトラーが登壇し、熱戦?を繰り広げたビブリオバトル・総選挙。
開票の結果、栄えあるチャンプ本はー
『そこのみにて光輝く』ー著者・佐藤泰志ー
に決定しました。
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📕 チャンプ本バトラーの感想
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖あのー、前回は深夜特急を紹介されたバトラーさんの『伝説・時刻表トーク』を聴いてたんで、〝そんなの、勝てるわけないや〟と、思ってましたがー。
今日は『そこのみにてー』を、肩の力を抜いてお話出来て、楽しかったです。ありがとうございました。
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📕おわりにー司会のことば
📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖📖2024年のほんわかビブリオバトル、チャンプ本に選ばれました、『そこのみにて光輝く』。
今後の読書会でも、テキストとして取り上げたいなと思います。
また、今回の投票では、それぞれのバトル本にまんべん無く票が入っておりましたのでー今日紹介された本、よろしければ是非、手に取ってお読み下さい。
あらためてーバトラーのみなさん、おつかれさまでした(拍手)。
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〈参考・引用文献〉
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『夏の災厄』 篠田節子/著(角川文庫2015)
『リボルバー』原田マハ/著(幻冬舎 2021)
『そこのみにて光輝く』
佐藤泰志/著(河出文庫1989)
『百年の孤独』
ガフリエル・ガルシア=マルケス/著
(新潮文庫 2024)
『深夜特急』1~6巻
沢木耕太郎/著(新潮文庫 2020)