なんとなく墓場まで
ぼる塾のYouTubeにハマった。
ぼる塾の3人や4人がご飯を食べながら自由におしゃべりしている動画は、きちんとした起承転結があるわけでもなく、「笑いをとるぞ!」という緊張感がなく、ほんとに友達となんの脈絡もなく話している感じがして、すごく好きだ。
動画なんだけどラジオ感覚で料理しながら掃除しながら聞いていて、そんな風に聞いてるもんだから、ちゃんと聞いてない時もあって、3人が爆笑してるのも、なんで爆笑してるのかよくわかってないけど私も爆笑しちゃってたりする。
笑い声を聞くだけで楽しくなっちゃうのは、私の記憶の思い出し笑いでもあって、私も3人でよく会う友達がいて、その時に誰かが何か言った言葉やふとしたリアクションが面白くて爆笑したその感じが蘇ってきて笑ってるのだ。
こんなふうに1人で笑ってしまえる思い出があって、しあわせだなぁと思う。
今日読んだ本。
別に「墓場まで持って行くぞ」と決意しなくても、誰にも聞かれなくて自分から話す気もなくて、だから墓場まで持っていくしかない出来事や感情とか悲劇とか傷があって、いやむしろそうした決意を持って墓場まで持っていくエピソードよりも、なんとなく墓場まで持ち越すエピソードの方が人生では多いのだろう。
ドラマや小説のように人生のどん底にいる時や泣いている時に、タイミングよく誰かから連絡があったり、誰かとばったり会って、胸の内を吐露するなんてリアルでは起きない。
なんとなくピークを過ぎて、元通りとまではいかなくても、なんとなく回復期に差し掛かった時に会う人に、気づいてくれる人もいない。
気づいてもなんとなく遠巻きにされるだけで声をかけてくれる人もいない。
声をかけられても話すかどうかわからない。
うまく話せなくて伝わらなくて軽んじられたり、伝わったところで相手が反応に困るだろうから、はなから話す気もわかないかもしれない。
多分生活を共にする人や、人生を共にする人でないと話さないような、いやそういう人がいたとしても話さないかもしれない、なんとなく墓場まで持ち越してしまいそうな出来事とか苦悩とか傷。
そんなものに本はたやすく触れてくる。
生きている限りみんなそんなものを抱えていて、全てを誰かに話して死んでいく人なんていないんだっていう当たり前のこと、何冊も小説を読んできたのに、今日初めてその当たり前が身に沁みた。
誰かがなんとなく墓場まで持っていくものに、たやすく触れたいとは思わないけど、誰かが話してくれなくてもわざわざ聞かなくても、疎んじたり軽んじたりせずに、なんとなくわかっていたい。
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