永遠に周回なんてできない。
前に母の癌のことをnoteに書いたけど、あれからしばらくして癌ではないかもしれないということがわかって、それ相応の覚悟をしていたから気が抜けてしまって、そのうちそのnoteを消すか追記をしようと思っているうちに時間がたち、やっぱり癌かもしれないと言われたのでそのまま残すことにした。
でも今日になってやっぱり癌ではないかもしれないと言われ、もう何がなんだかわからない。
昨日までは先生もはっきり癌だと言っていたのに。
癌ならこんなにすぐに大きくならないとか、潰瘍だったらこんな風にはならないだとか、何もかも普通ではないらしく、なら私は一体どんな覚悟を決めておけばいいのだろう。
気持ちの持って行き場所置き場所がわからなくて、常にふらふらしている。
何があっても何であっても、どんな覚悟をしていてもしなくても、それ相応のダメージを自分が負うことはわかっている。
きっと私は深く傷つく覚悟ができていない。
今日読んだ本。
『ニューヨーク製菓店』に続いて韓国文学。
韓国文学は生きづらさを抱えている人、生きることがままならない人の切実さを書くのが本当にうまい。
その辛さが身に迫ってきて、息が苦しくなる感覚さえある。
この小説の中の人たちは、権力に屈していないで、虐げられたままでいないで、声を上げよう行動しようと、復讐や反撃にでる。
でもそれは復讐にしては、本当に些細な小さな復讐で、小さな嫌がらせのようなもので、焼石に水に見えて、その人たちの生きづらさが尚更浮き彫りになる。
その一瞬は晴れた気持ちになるのかもしれないけど、復讐の後その人の人生が好転するようなものには見えなくて、余計惨めな気持ちになってしまうのではないかと思えてきて、ここにも息辛さがある。
自分は永遠に同じトラックを回っていて、そこから抜け出せないとわかっているから、せめて自分のベストタイムをつくそうと、あれこれ努力や工夫を積み重ねてみる。
そうして自分なりのやり方を身につけても、ある日突然外からの抗い難い力によってそのトラックから弾き飛ばされる。
全く違うトラック、それまでのルールも何もかもが通用しないトラックに押し込まれて、望んでもいない勝負の中に組み込まれて、そこでゼロからやり直し、ってことの方が多いのではないか、人生というものは。
永遠に同じトラックを周回するなんてできない。