2024/08/25・8/27
8月25日(日)
『スキップとローファー』6巻 高松美咲
高校生の姪みつみ(おみつ)と同居しているナオがゴロちゃんを居酒屋に呼び出し、気持ちを吐露する台詞。
今週の『虎に翼』での寅子と航一の結婚式を見て同じような気持ちになったこと、何年か前に出席した結婚式でのプロフィールビデオを見て、自分が惨めすぎて泣いたことを思い出した。祝福する気持ちはあるし、温かい家庭に生まれて愛されて育って幸せそうなのが憎いというわけでももちろんなかった。ただ自分との差があまりにもあったもんだから、惨めすぎた。私もナオみたいに愚痴りたかった。
私もみつみみたいな家族も友達もいないし、寅子のようにサプライズを計画してくれる家族も、それに集まってくれて温かい言葉をくれる友達もいないし、人生を共にする伴侶もいない。
その上私にはナオのように、こんな気持ちを吐露でき、それを受け止めてくれるゴロちゃんみたいな存在もいない。
あるのはこんな気持ちを代弁してくれる漫画やSNS上の見知らぬ誰かだけ。
それだけで充分だと、満足したら丸く収まるのだろうと思ってはいる。
8月27日(火)
『ラストマイル』
昨日『ラストマイル』を観た。昨日観たんだけど、ぼんやりとしていた感覚がまとまったのは今日で、こういう時の日記は日付に困る。とりあえず今日は今日の日記ということにする。
ネット通販サイトの倉庫が主な舞台で、そこから発送された荷物が爆発することから物語が始まるんだけど、倉庫やそこに勤める人間だけでなく、配送会社や配達ドライバー、事件を捜査する警察等、たくさんの人間にもフォーカスが当たるので、群像劇といってもいいだろう。
映画も終盤になり、事件が収束に向かう中で、この人たちの話があんまり物語に絡んできてないな、この人の話にはどんな意味があったのかなぁと気になるところがあった。でも事件に大きく関わりがなくても、直接関わりがないからこそ話に広がりを持たすために描いたのかなと思っていたら、その人たちが最後のピース、その人たちが事件に関わることで話が綺麗にまとまる仕組みになっていた。
どの人間も1つのピースで1つの駒なのだ。
どれもが話を構成し盛り上げ彩るピースで駒なのだ。
なんの意味もなく存在する人がいるわけない。全部物語に収斂される。物語に役立たない人は群像劇の仲間になれない。
エンタメだから、映画だから、作り物だから、という理由はあるかもしれないけど、そうとも言い切れない。
自分にとって意味のあるもの、大きな何かを構成してくれる部分になってくれそうなもの、歯車になってくれそうなもの、そんなものしか視界に入らないのではないか。
それ以外はみんなノイズとして、排除しているのではないか。
ノイズとして排除されてきた人間にフォーカスを当てたところで、「ノイズとして排除しませんよ」という物語、メッセージになり、意味に収斂される。ノイズが本当に目に入ることはない。