故郷は死にゆくもの。
3度目に住んだ実家では、部屋のベッドに寝転ぶと空に「P」という文字が浮かんで見えた。
立体駐車場だ。空と立体駐車場の「P」しか見えない窓だった。
私はその窓から見える景色とも言えないような景色が好きだった。
ただの無機物なんだけど、その日の天気空模様によって、なんとなく表情が変わって見えるようで。
朝目覚めて真っ先にすることはカーテンを開けることで、そうすると真っ先に目に入るのはその「P」だった。
だからその立体駐車場が取り壊され、マンションになってしまった時は、悲しかった。
3度目に住んだ実家と書いたように、その部屋は子供の頃から住んでる実家ではなく、大学生2年生の時に再開発で実家を取り壊すことになって新しい家が完成するまで隣の駅にある貸家に1年住んで、新しくできた家にある部屋だった。
新しくできた3度目の実家と、再開発で取り壊された子供の頃住んでた最初の実家は位置としては一区画しか変わらない。
地図上の位置はほとんど変わらないけど、何もかもが変わってしまった。
私も故郷喪失者のようなものだ。
友達の家がやっていて私がはじめてのおつかいで行った手芸店も、小学校で使うノートや鉛筆を買いに行った文房具屋さんも、何を買ってもおまけにぎゅうひをつけてくれてぎゅうひを買ってもぎゅうひをおまけにつけてくれた和菓子屋さんもなくなった。
故郷ってなんなんだろう。
変わらずそこにあるものだと思っていたけど、そんなわけがあるはずもない。
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