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規則正しくきちんと楽しく。
たまーに何もアウトプットする気が起きない凪の時が訪れる。
頭には色々思い浮かんでいるのだそう、Twitterやnoteやらに書く気にはならない、という凪。
浮かぶもののどれもこれもあえて呟くほどの書くほどのことでもないように思えてくる。
でもいつもはその呟くほどの書くほどのことでもないことを何も抵抗なく垂れ流してしまってるんだな、と気づく凪の時。
今日読んだ本。
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きちんと楽しくしていることは、彼女たちが毎日していた楽しいことを毎日することだった。きちんと楽しくしたあとで毎日を同じ時間に終えることだった。かのたちはきちんと楽しくしていた。悲したちは毎日楽しくしていた。彼女たちは毎日を同じ時間に終え、彼女たちは毎日きちんと楽しくしていた。
ガートルード・スタイン
光浦靖子さんの『50歳になりまして』を読んで、自分で自分を楽しませよう!自分の人生に夢中になろう!と思ったことを思い出した。
私も光浦さんと同じように、わかりやすく必要としてくれる誰かがいないしみんなと同じことができないし、人と比べて人が羨ましくなって自分が惨めになったりもするけど、光浦さんがカナダへ留学したように私も人の目を気にせず、誰とも比べず、今更だとも思わずやりたいこと全部やろう、楽しもう!と思ったのだった。
それを思い出したのだけど、なかなか自分を楽しませるというのは案外難しいものだし、日々のあれこれにまぎれてその心構えさえも忘れてしまったりする。
きちんと楽しく。そして毎日同じ時間に一日を終える。
毎日規則正しく楽しく。
一日をきちんと楽しくして満たされて終わることができたらいい。
でもそれが難しい。楽しむために必死になるのもなんか違うし。
楽しむということの前に、なんかやっぱり色々と捨て切れてないのかもしれない。
きちんと楽しむことの前に、きちんと一人になれてないのかもしれない。
人と比べてしまったり、羨ましがったり、誰かに必要とされたいとか思ったり。
きちんと楽しむのに、そういう雑念が邪魔している。
そんな気がする。
ところでこの「ミス・ファーとミス・スキーン」という短編。
引用した部分以外でも、全体的に繰り返しが多くて言葉遊びのようで読んでいて楽しかった。
リズムが崩されるようで、でも不思議な独自のリズムがあって惑わされながらも楽しい。
この短編は「楽しく」という単語をとにかく沢山使って、女性が二人で楽しく過ごしたり、時には一人で楽しく暮らしている様子が書かれているのだけど、解説を読むと「楽しく」を意味する単語“gay”には同時に「同性愛の」という意味もあるらしく、それを知ると知らないとでは話の様子が全く変わってくるのもまた言葉の妙を感じられて楽しい。