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『哀しき父』と霧

家族と貧乏な生活をしながらも静かに生きてきた「彼」は、愛する細君との離別をし、子どもを一人で育てられないことから郷里に住む「彼」の母にその世話を頼み、自身は陰鬱とする下宿先で詩人として生活を希望しながらお金の工面をしている。
「彼」は、下宿先に住んでいた人々の死の噂を聞き、その不吉な話に薄気味悪さを感じている。息子がしっかりした体に成長したところを夢に見たにも拘わらず、起きたころには素直に喜ぶどころか家系的に早死にであることから息子の将来を案ずる。母伝いに聞いた息子の発言から、一年たらず離れているだけの息子の変化に驚き、息子にとっての自分の存在というものを確かめたくなる。家族の離散という出来事が「彼」を悲観的にならざるを得ない性質に引き込んでいったのであろう。

「彼の胸にも霧のような冷たい悲哀が満ち溢れている。(13頁)」
梅雨の時期、昼間は暑くとも、急激に気温が下がる朝晩はその湿気とともに霧を作り出す。霧は静かでありながら、先を見通せない不安をも与える。「彼」は悲哀の霧を抱えた心を持ちながら後に、高熱を出して苦しむのだが、むしろ「彼」はそれを喜んでいる。何かしらの罰を与えらえること、それをどこかで望んでいたようである。「彼」は「ぢつと自分の小さな世界に黙想しているやうな冷たいくらい詩人」であり、「金魚を見ることは、彼の小さな世界へ焼鏝をさし入れるようなものであらねばならな」かったのに対し、物語の終わりにはその焼鏝となるものを数匹も飼っている。「彼」は濃く悲哀に満ちた霧から、その孤独と静寂を保ちつつ、哀しさを熱によって蒸発させたようである。

霧の濃い朝、私はスウェーデンに来て約一年経った一年前に、日記にこんなことを書いていた。

今朝は霧が濃い。カーテンも閉めていない部屋が、何と無しに暗かったために外を眺めた。外から隠された秘密の家にすっぽり閉じこめられてしまったな、という気になった。気になる、というよりは、そう想像したくなり、そうだと思い込んでみるとなんだかふふっと微笑みたくなる気分になる、という方が適切だろうか。いつもはバルコニーから、遠くにある森の木々の美しい整列を眺めていた。しかし今朝は、かろうじて向かいの木々がその白い膜を破いている程度である。朝の八時前――一人コーヒーを飲む動作さえ意識的に、ゆったりと、音をたてないようにする。誰にも私が起きたこと、いやここで鼓動を動かしていることすら気づかれていない、自分だけの独りぼっちな朝を過ごすために、少なくともそういう舞台に、自分は身を置いて演じ切ってみるのである。

2023年10月30日の日記より

私にとっての霧は、神秘であり、孤独を与えてくれる美しい不確かさであった。締め切り、人間関係、将来について考えあぐね、全てを一度白紙からやり直したいと考える節があった。むしろ、この先全てのあらゆる可能性が見渡せるくらいならば一層不透明であれと願っていた。私の霧にも、鬱々とした感情が込められているが、むしろその涼しさが心地よかった。ひとりぼっちでいるその20分限りで――。


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