藤井基二編『静かな場所の留守番 新編 伊藤茂次詩集』龜鳴屋を読む夜
日本にいる友人に古本欲を嘆いていたとき、「なら古本を詰めて送ってあげるよ」と2キロ分の本がスウェーデンの田舎街届いた。長い旅を経て古本屋にたどり着いたこれらの本たちでさえ、間違いなくスウェーデンの国境をまたいだことはないだろう。庄野潤三、伊藤整、中村光夫、などなどいい顔ぶれが揃っている。文学を読むものの体系的な繋がりをよく学んでこなかった私は、伊藤整『近代日本の文学史』夏葉社をずっと読みたいと思っていた。高校の日本史の授業以来聞いてこなかった名前や出来事が出てきてあっという間に文学史を学べた。大変おもしろい。
中村光夫『今はむかし:ある文学的回想』中公文庫も、当時の文壇のつながりがより身近に感じられるような書きぶりで、また良い。中原中也の芸術に対する退廃的な情熱を中村光夫は「出口のない青春に閉じ込められた(180頁)」と表現していて、なぜ退廃的で自堕落な芸術家がかくも美しく映るのか、分かる気がする。
中村光夫の私的な生活に関する記述もまたおもしろい。
決まった下宿先の奥さんから、家賃や食費について話を聞いているだけの描写に思えるが、「物価というものは、大体いつでもあがっている」という一文にアイロニーが効いている。そして、なんだか真理である気がしてくる。今の私も、金がなく、スウェーデンの物価に文句を言う日々である。フランスにいる博士の先輩に話を聞いても、やはり金にゆとりのあるはずもなく、フランスに駐在している日本人家族の子供の家庭教師で日銭を稼いでいるという。私は――面倒さと自分のしたいことをしてお金を稼ぎたいというエゴで、これまた堅苦しい貧乏人になっているようである。
古本だけでなく、その友人から贈られてきた素敵な箱の中には、新しい本が入っていた。藤井基二編『静かな場所の留守番 新編 伊藤茂次詩集』龜鳴屋。詩集はなぜか夜に読みたくなるので、予定も焦燥感もない静かな夜が来るのを待って、遂にある晩、読んでみることにした。例にもれず、彼も金はなく、酒に明け暮れるタイプの作家だったようである。ただ、彼の誌ににじみ出る正直さが身体性をも詩に与え、何だか詩が私の身体と呼応していくような感覚になる。私はアルコール依存症の家族を持っているので、全く以てこういう背景にロマンを抱くことはない。アルコール依存症の家族を持ってみろと思う。周りが地獄である。だから、この作家は好かない。でも、どうしても、憎めないのは、私が貧困という点で共通しているからということと、その詩に対する姿勢がどうにも真っすぐで純粋であるからということからきているのであろう。
詩集を読み終みながら好きな箇所にふせんをつけていった。好きな詩はいくつもあるのだが、引用するには少々長い。なので、私が一番気に入った一行をここに記したい。
良い。私は、「はい。」と心の中で返事をし、今朝飲んだコーヒーを思い出しながらそのありがたみを後払いする。スウェーデンの秋は雨で、日差しは夏に比べて弱まってくる。そろそろ来てしまう冬を憂いながら、でも雪は楽しみだなと思う。雪が降る前に、採れるきのこはとっておかないとな。乾燥させて、冷凍庫にいれておけば、リゾットやパスタ、パイにしておいしく食べられる。ただ、今日は寒いのであまり外には出たくない――コーヒーは幸福だったんだなと思いながら、そろそろ眠らないとと思う。