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クリスマスは近いけれど、スウェーデン家族について、そして変わらず時々読書日記

 最近は連れの家族のクリスマスプレゼントを買いに走ったり、毎週なにかしらクリスマスのイベントがある日々です。家族にプレゼントを贈るってすごく素敵ですよね。連れと夕食をいただきながら彼の両親にはこれ…姉にはこれ…姉の旦那さんにはこれで甥っ子たちにはあれ…そして彼の祖父母には…と、とにかくプレゼントのために考える人が多く、それがまたほっこりする時間だったりもします。
 彼の家族は、とにかく仲良しで、なるほど、こんな風にうまくいく家族もあるものだなと、その家族の様子があたかもたまたまであるかのように解釈していた私。ただ最近感じたことは、家族を作るためには家族の一員の努力が必要不可欠であるということでした。こうして文章にすると、当たり前にも聞こえます。ただ、私が彼の家族の一員として迎え入れてもらい(結婚はしていません)、丸二年、一緒に過ごしてきて、なるほど、みんなこうやって努力を怠らないから、いい関係性が築けているんだなと感じたことがあるので、つらつらと書いていこうと思います。

 私は彼と婚姻関係にはありませんが、家族の一員として迎え入れられている、と書きました。スウェーデン、というか欧米では、という方がよいでしょうか、彼女・彼氏の時点で家族に紹介するのは当たり前です。彼とデートを始めて3カ月で私は彼の両親とディナーに行くことになり、「今までの元カレなんて、5年付き合って始めて両親の顔をみたのに!」と驚いたことは記憶に新しいです。この文化の違いについて、彼に言わせると、「一緒にいたいと思えるくらい好きな人について両親に話さないなんてとても失礼だ!」だそうです。恋愛だけに限らず、彼と彼の家族の間にはヒミツごとや、これは話さないといったタブー話が全くありません。意見が合わない時でも徹底的に話し合います(特に彼と彼の父)。家族での集まりも頻繫にあって、本当に彼の祖父母には2ヶ月に一回以上会っているし、彼の両親に至っては一か月に一回会わなければ「会いたかったよ~」と大量のご飯とワインでもてなしてくれます。たくさん会って、腹を割って話す、互いの意見を平等に扱う、このような普通に聞こえることを実践しているからこそ、皆互いを尊重し好きでいられるのでしょうと考えたりしています。

 先ほど、彼の家族と頻繫に会っていると書きましたが、会うためにたくさんのイベントを用意するのが彼の家族の得意とすることだなあと感じています。ただ夕食を食べるだけの日というのはあまりなく、ご飯付のイベントである場合がほとんどです。

 例えば最近を振り返って、
・皆で彼の祖父が保有するキャビンに滞在して魚釣り、ハイキング、サウナなど…
・彼の両親からのサウナとディナーのお誘い
・我が家の部屋の壁の色を塗り直すために家族総出→皆でお茶
・(彼の故祖母のレシピで)ジンジャーブレッド作り→夕食
・ブランチ→ジンジャーブレッドでお菓子の家作り
など、とにかく集まるためのイベントを作るのが皆とても上手だと感銘を受けます。彼の家族は、ジンジャーブレッドの家作りに真剣に取り組みます。出来上がった家と一緒にみんなで写真を撮るのも伝統だそうです。

なるほど、子供のころから私がなぜ親戚集まりが嫌いだったかと言われれば、「いかなければならない」という雰囲気を親から嫌でも感じ取っていたからだと気づかされます。大人が義務で集まる会はストレスしかないですからね。後は、集まりに参加すれば皆が平等に皿洗いをし、手伝いをするので、私がよそ者であるが故にしなければならないことが増えるということはないんですよね。むしろ洗い物をしすぎると、彼のお父さんに「はい、君は洗い物係の職をリストラされた!その場所をどきなさい!」とユーモアを交えて代わってくれます。飲んでいるワインはいつまでもなみなみにつがれます。とにかく居心地のいい家族の関係だなあと、同時に、これを保つための努力――それはイベントを作る創造力だけでなく、それを可能にする財力、時間、互いに近くに住むなどの歩み寄り――を行っているからなんだなあと感じました。

 他にもスウェーデンの家族から学んだことは多く、また筆がのれば細々と覚え書き程度に書いていこうと思います。ただ、このNoteを始めたきっかけである読書日記も忘れず続けたい所存です。最近は、尾崎一雄の『まぼろしの記 他五篇』旺文社を読了しました。尾崎一雄の人となりを少なからず掴めたような気がします。私は好きな文章に出くわすと付箋を貼るので、後から眺めると全編に均等に付箋を貼っている様子から、結構どの文章も楽しんで読んだようです。ただ、今思い返して心にくる、というか、今だからこそ読む必要性が高まっているのではないかという物語があります。それは、彼の「虫も樹も」です。この一篇を読んでいると、彼の心にある科学技術への不信感というか、人間の向上心に対して辟易している様子がうかがえます。例えば、農薬によって中毒人が出たという出来事を取り上げ、彼はこう嘆く――

しかし、私の今考えているのは何でも発見し、何でも発明し、何でもやってやろうという人間の――根性についてである。止め度のない人間の根性。もういい加減にしてもらえないだろうか。
 私もずっと文明開化の恩恵に浴してきて、いろいろ便宜を得ているのだから、文句は云えぬわけだが、それにしてもこの頃の人間には、暴走の嫌いがあるのではないだろうか。
 私は月旅行なんかしたくない。火星かどこかに土地を持とうなどとは思わない。一発の爆弾で何万人の人間を殺して何が面白いのか。

尾崎一雄「虫も樹も」『まぼろしの記 他五篇』旺文社、269頁。

 穏やかでユーモラスな筆致の尾崎一雄の文章に時々でてくる真剣さ、怒りは、より一層そのメッセージを引き立たせています。そして、時代性を超えたこの価値観――。科学技術についての向き合い方は、極端なやり方では矛盾を生み出すし、だからといって無限に利便性を追い求めれば破滅に追い込まれる。こんなフラストレーションを、尾崎から感じ取れます。

 尾崎を読み終わったので、次の古本をまた選ばないといけません。並行してちくま学芸文庫の『移民の歴史』なども読んでいますが、研究用の本もそろそろ読まなくてはと一人で焦っています。家族の話から始まり、読書日記に終わるという取り留めのない文章ではありましたが、ここまでもし読んでくださった方がいるのであれば感謝申し上げます。

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