神の手を持つ画家とマヌケな化け物
ある街に神の手を持つと言われる一人の画家がいました。
その画家が想いを込めて描かれた絵には魂が宿り、キャンパスから飛び出し動くことができたのです。
女の子が言いました。
「素敵な歌を歌うカナリアがほしいの」
画家が愛らしい瞳のカナリアをキャンパスに描くと、たちまちそこからカナリアは飛びたち歌を披露しました。
病気がちで寂しかった女の子は、喜びを溢れさせ礼を言いました。
「ありがとう、画家さん」
画家も嬉しくなりました。
農夫が言いました。
「力仕事を任せられる立派な牛がほしいんだ」
画家は角も筋肉も立派な一頭の雄牛を描きました。雄牛はキャンパスから飛び出すと、鼻息も荒く荷物を力強く運んでくれました。
腰を痛めていた農夫は大変大喜びです。
「ありがとう、画家さん」
画家も嬉しくなりました。
おばあさんは言いました。
「私の最期に、一緒にいてくれる子がほしいの。ベッドにそっと、寄り添ってくれるような」
画家は一匹のネコを描きました。おばあさんの白髪に合わせた雪のような白猫を。ネコはキャンパスから抜け出すと、おばあさんのベッドの上で丸くなりました。
ネコの頭をそっと撫で、おばあさんは微笑みました。
「ありがとう、これでもう寂しくない」
画家はその時ばかりは、嬉しさではない複雑な想いを抱きました。
後日おばあさんは息を引き取りました。
ベッドの上のネコは役目を終えてキャンパスに戻りました。
画家が描く絵は役目を終えるとキャンパスに戻り、いつの間にか消えてしまいます。
画家はそれで良いと考えていました。
とある日、画家の元に一人の男が現れました。それは王様の側近でありました。
「画家よ、マヌケな化け物がほしいのだが」
「マヌケな、ですか」
不思議な頼み事に首をかしげる画家に、側近はこう説明しました。
『次期王様となる王子は大変弱虫で臆病である。自信をつけさせるためにも、そんな王子でも退治できる化け物がほしい』
そんな内容でした。
画家は戸惑いました。
今まで退治させられるために描いた絵などなかったからです。
しかし大量の金貨を押し付けて側近は「ではよろしく。また明日化け物を引き取りにくる」と言い残し帰ってしまいました。
画家は仕方なしに重たい腰を上げました。
これも仕事。大変真面目な画家は、キャンパスに向かいマヌケな化け物を描き始めました。
しかしマヌケな化け物とはどんなものなのか、頭を悩ませてしまいます。
強くしてはいけないので、犬くらいの小さなものにしました。
爪は鋭くなく、牙も丸みを帯びたものにしました。
目は寄り目がちにして、ふむ、これはマヌケだなと画家も納得してしまう出来上がりになりました。
あとは自分のサインを入れればこの絵に魂は宿ります。しかし側近が来るのは明日なので、それは残し画家は寝ることにしました。
暗闇の中で、うとうとと夢の世界へ行きそうになるころ、ふいに話し声が聞こえました。
それはどうやらキャンパスから聞こえてくるようで、画家は目を覚ましました。
「きれい、きれい、あれは何というのかなぁ」
幼子のようなその声を出していたのは、キャンパスの中の化け物でした。まだキャンパスから飛び出すことができない化け物は、その中から窓の外を見つめているようでした。
画家はベッドから抜け出し上着を羽織ると、月光降りるキャンパスの前の椅子に腰掛けました。
「どうしたんだい、化け物くん」
「画家さん、あれは何というの。まぶしくって大きくて、とってもきれい」
化け物が指さしているのは、夜空にどっしりかまえる満月のようでした。まわりのたくさんの星を圧倒させる大きな存在です。
「ああ、あれは月というのだよ」
「つき、かぁ。すごいねぇ、すごいねぇ」
化け物はキャンパスから身を乗り出さんばかりにこちらに近づこうとします。初めて見た月の光は、彼の目にどう映っているのでしょうか。
「月は好きかい?」
「そうだね、好きだね」
「なら、今日はキャンパスを窓の外へ向けておいてやろう。でも静かにしていてね。私は眠いのだから」
画家はキャンパスの向きを変えるとまたベッドに戻りました。
うっすらと閉じゆく瞳に、月を見上げる化け物の姿をとらえながら。
翌日側近は朝早くに画家の元へ来ました。
画家がサインを描くと化け物はキャンパスから飛び出し、側近の持ってきた檻に入れられました。
「やぁやぁこれは確かにマヌケそうな化け物だ。これで王子様も大丈夫だろう」
側近はたいそう喜び、さらにたくさんの金貨を置いて去って行きました。
画家はその後ろ姿を見送りました。
化け物はマヌケにも檻からバイバイと笑顔で手を振っています。画家は振り返しながら、痛む胸元をぎゅっと握りました。
数日後、役目を終えた化け物はキャンパスへ戻るため画家の元に来ました。
その姿は傷だらけで血もにじみ、くたくたの様子でした。
「これは酷い……」
画家は呆然とし、救急箱を取り出しに行きました。
しかし手に取り戻ったときには、化け物はもうすでにキャンパスに戻っていたのです。
傷だらけの体を横たえ、中でぐったりとしています。そして弱々しい声で言いました。
「きちんと、退治されてきたよ。ぼく、えらい?」
退治されるために生まれた化け物。画家はなぜか頷くことができず、言葉をつまらせました。
化け物は瞳を閉じそうになりながら、独り言のように言葉を続けます。
「王子様は強くなったかな。自信ついたかな」
「そのために、ぼくは生まれたもんね」
「ああ、でも」
「やっぱりぼく」
「愛されることも知りたかったな」
そして、すぅっと化け物はキャンパスから消えました。役目を終え、消えました。
それから画家はもう二度と神の手を使うことはありませんでした。
絵を描く道具は全て売り払い、質素な生活を送るようになりました。
ただ一つ残したキャンパスだけが、画家がもともと画家だったことを証明しました。
満月の夜、元画家はそのキャンパスを満月に向けているそうです。
その白いキャンパスに当てられる月光はとてもキレイで、笑っているようだと人々は語ります。
おわり